小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

452 党首討論の野次合戦 国会議員の品性

もう旧聞になるかもしれないが、27日の麻生太郎首相と民主党鳩山由紀夫代表の初めての党首討論の際の野次合戦はひどかった。

これまで野次のために肝心の討論がストップする場面もあって与野党が事前に「節度ある野次を」と申し合わせたのだが、それは生かされず、かつてのプロ野球のような野次合戦が再現してしまった。国会議員の品性のなさにいまさらながら腹が立った。

プロ野球の野次は、ゲームを盛り上げるのに一役買っている。かつて阪神の川藤選手はベンチから相手チームの野手をやじるのがうまく「野次将軍」という異名が付いた。言論の府である国会の野次も昔から続いている。小泉元首相は、代表質問で野党の党首の質問が野次で聞き取れなかった際に「野次は議会の華ですから」と、余裕を見せたことがある。

しかし、人の話を聞かない議員の姿勢はやはり問題がある。彼らはテレビに出演しても、相手が話している途中に口を挟む。ともすれば話している人の内容と交錯して視聴者は内容が理解できない。司会に静止されることがしばしばという場面がある。最近は、あまりにひどいのか、司会者も注意しないことが多い。

これでは小学生たちよりも始末が悪い。国会議員のことをなぜ「先生」というのか分からない。先生とは、文字通り学校の教師をはじめ人に尊敬される職業の人たちを指すはずだ。国会議員も以前は尊敬されたのだろうか。だが、いま、このような野次を飛ばす人たちを見てだれが尊敬するだろうと思う。

とはいえ、静かな議場も寂しい。素晴らしい演説に対する拍手や絶妙な間を持った野次は許されていい。佐藤賢一の小説フランス革命Ⅲ「聖者の戦い」でも、フランス議会の模様が詳しく描かれ、議員同士のつかみ合いや野次の場面も出てくる。

日本の国会では、かつて吉田茂首相が、野党の質問のひどさに「バカヤロー」といって解散にまで発展したことがある。国会は議員同士の戦いであることはいうまでもない。それにしても、昨今の野次はひどすぎるのだ。

新人議員は前の方に席があり、幹部の指示で野次らざるを得ないようだ。品性を捨て野次っても、心のうちでは恥じることが多いのではないか。(野次将軍、自分の野次に顔赤め)