小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

437 グラン・トリノ 人生最終章の選択

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クリント・イーストウッドは1930年5月30日生まれなので、現在78歳。あと1ヵ月で79歳になる。最近のインタビューで、俳優としてはこれが最後の作品で今後は監督業に専念することを示唆したイーストウッドの渋い演技が脳裏に焼きつく映画だった。 題名はフォードが1972年に製造した「名車」にちなんだものだ。イーストウッドが演ずるコワルスキーは元フォードの組立工で妻に先立たれ、一人で暮らしている。犬とグラン・トリノを大事にしている孤独な老人だ。 朝鮮戦争の従軍経験があり、頑迷で白人以外の人種に偏見を持つ。しかし、隣の家に越してきたラオス移民家庭の姉スーと弟タオとの交流を通じて、次第に偏見を捨てていく。己の命をかけて、この家族を救おうとした結末は力と力がぶつかり合う現代社会を風刺しているようで、監督としてのイーストウッドの思いが胸にしみる。 同じアジア系の不良グループからグラン・トリノを盗むよう強要され忍び込むタオはコワルスキーに見つかる。不良に絡まれるスーもまた彼に助けられる。いつしか、スーとタオは孤独なコワルスキーと親しくなり、タオは彼の紹介で仕事にも就く。 コワルスキーはよき時代のアメリカを代表するような人物だ。口は悪いが、心は暖かい。牧師との駆け引き、行きつけの床屋との会話、離れて暮らす息子との電話のやり取りなど交互に描かれるニヒルさとコミカルさが、イーストウッドの渋い魅力を引き出している。 結末は悲しい。しかし心が休まるのはなぜなのだろう。伏線はあった。昼間から庭先で缶ビールを飲み、タバコを吸う生活のコワルスキーは咳き込むと痰に血が混じっていて、病院に行く。その結果を記した診断書は重病を暗示させる。 不良グループに犯されたスーのために、コワルスキーは自分を捨て、スーとタオを守ろうと行動する。悪に対し思い切り攻撃を仕掛けるのかと思った私の予想は見事に外れた。人生の最終章で、彼は無抵抗によって隣人を救うという手段を選んだのだ。 それは21世紀になっても終わることがない武力対決が、人類にとっていかに無益で救いようがないものであるかを指摘しているように私には思えた。コワルスキーのような、孤独な老人は高齢化社会が進行中の日本にも少なくないはずだ。だが、孤独な日常でも生きる希望や拠り所があれば、輝くことができると、この映画は教えている。