小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

432 地に堕ちた雑誌ジャーナリズム ああ、週刊新潮よ

時効になった朝日新聞阪神支局襲撃事件(1987年5月)について、真犯人と称する男の告白手記を連載した週刊新潮の報道は完全な虚報だった。

これを説明した4月23日号の編集長の報告はお粗末で、雑誌ジャーナリズムの終焉を思わせた。これを読んで「ああ週刊新潮はここまで堕ちてしまったか」と思ったのは、私だけではないはずだ。

「こうして偽実行犯に騙された」という見出しからして、報道機関の使命を放棄したものだ。したたかな男の言い分を鵜呑みにして、記事を書き、特ダネとして大々的に宣伝する。裏づけも取らない記事に対し当事者の朝日から当然のように質問が届く。

しかし、居直りの姿勢に終始した結果、重大な事態を招いてしまった。それでも、被害者を装い、報道機関たるものが「騙された」という幹部の手記を掲載するのだから、厚顔無恥だとしか言われても仕方ないだろう。

さらに驚くのは、これだけの虚報を掲載しながら、「説明責任は果たした」という理由で関係者の処分はしないのだそうだ。経営責任も問わないということなのだろうか。この会社は報道機関であることを捨てたのだろうか。あるいは、週刊誌の報道は、こんなものだと割り切っているのだろうか。

この週刊誌は、週刊文春とともに新聞やテレビには、かなり厳しい批判を加えてきた。それによって、多くの読者を維持してきた感もある。雑草のようなたくましさは、どこからも束縛されない自由と強さがあった。それが今回は、裏目に出たようだ。

マスコミは「危機管理」という言葉をことあるごとに使う。あまり好きではないが、あえて週刊新潮問題で、この言葉を使えば、新潮社は「危機管理」に麻痺し、無責任が横行する出版社になってしまったのだろうか。

新潮社は、日本の出版文化を支える大きな存在だ。新潮文庫の愛読者の一人として、この虚報問題は残念でならない。