小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

419 純白で可憐 コーヒーの花が咲く

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以前、鉢植えのコーヒーの木に小さな実がなったことをこのブログで書いたことがある。(昨年12月7日)その実はたった2つで、最近1つが鮮やかな朱色に変化した。それを楽しんでいたら、別の枝に白い花がついているのに気がついた。 実がついたわけだから、昨年も花をつけたのだろうが、発見しないままにいつしか実がなったのだった。この季節、様々な春の花が咲き続けている。当然、桜の季節でもある。戸外は肌寒くとも、植物は確実に春を感じているのだ。 コーヒーの木はいまの外の気温には耐えることができない。リビングはいまだストーブを使っている。暖かい室内と窓際に置いているので、日中は太陽光を受けることができる。そうした環境が花をつける好条件になったのだろう。
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それは小さくて純白、可憐な花だ。いとおしさを感じる。こんな花から小さな実がなり、いつしか成熟して赤くなり、コーヒーの原料になるのだ。 獅子文六に『可否道』(コーヒーと恋愛、1963年)という作品がある。茶道と同じく「珈琲道」があってもいいのではないかと、コーヒーに入れ込む人たちをユーモアたっぷりに描いた小説だ。たしか喫茶店が舞台だった。そこにこんな可憐な花を咲かせる鉢植えが何本かあったら、さらに小説は魅力が増したはずだ。 毎日、多くの人が何杯のコーヒーを飲むだろう。コーヒー中毒を自認する友人もいるし、私は朝から夕方まで5杯は飲む。これからは、この白い花を心に思い浮かべながらコーヒーを味わうとしよう。