小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

400 考える葦に 人間の尊厳とは

フランスの哲学者パスカルはパンセの中で「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」という言葉を残した。「人間の尊厳のすべては、考えることのなかにある」そして「考えが、人間の偉大さをつくる」ということなのだ。しかし、昨今の麻生首相朝令暮改の言動を見ていると、彼は考えることを停止しているとしか思えない。

若い友人から「進路やその他諸々で思い悩んでいる」という話を聞いた。友人だけでなく、いまの日本社会では、多くの人々が悩みを抱えながら生きているのである。どう生きていくかを考えるのは、パスカルが言うように「人間の尊厳そのもの」だと思う。友人に対し的確な返事をすることはできなかった。一緒に悩んだ方が楽だと思った。

その友人はいま20歳台後半だ。同じ年齢の時に私はどんな思いを抱きながら日々を送っていたのだろうかと振り返った。北国の秋田に住んでいた。風呂もない小さなアパートに住み将来の展望も描くことができずに惰性で生きていた。そんなときに、ある会議で私の仕事に対し「面白い」と評価してくれた人がいた。そう目立つような仕事ではなかったが、その一言が引き金になり、私は仕事をする面白さを知り、惰性の日常から抜け出すことができた。

一方、友人は「自分は未熟です」と言う。しかし、かつての私の方がもっと未熟だった。友人のように、自分だけでなく他人や周囲をもきちんと見つめ、いまの時代をどのように生きるかについて考える人が未熟とはとても思えない。感性が豊か過ぎるがゆえに、心の揺れが大きいのだろう。それだけ人間的な魅力があるわけで、人との出会いを大切にして誇りを持って日々を送ってほしいと思うのだ。

世界同時不況が進行中だ。日本の多くの企業が苦境に立ち、そこで働く人々だけでなく、下請け、孫請けまでを巻き込む人員整理のあらしが吹き荒れている。そうしたときにこそ、政治家は人間の尊厳を取り戻し、国民のために考える葦になってと希望するのは無駄なのだろうか。