小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

366 琴線に触れる映画 「青い鳥」と「私は貝になりたい」

最近、邦画2本を連続して見た。話題の映画である。いじめ問題を扱った「青い鳥」と、終戦後のBC級戦犯の悲しみを描いた「私は貝になりたい」だ。

映画を見る場合、できるなら琴線に触れる作品をみたいと思う。この2本はその条件を満たしていた。

重松清の小説を映画化した「青い鳥」は吃音(きつおん)の代用教員がいじめによって、自殺未遂者を出したクラスの担任代理として短期間、中学生と接し「責任を負う」ことを教える。

決して、怒ることはない教師だが「本気」で語りかけ、子どもたちの心を次第に開かせる。いま、教師という職業は難問山積だ。保護者の理不尽な要求に苦悩することも多いと聞く。

吃音によって言葉は少ないものの、本気で子どもたちを相手にする映画のような教師が増えることを切望するのは私だけではないだろう。

一方、人気タレント中居正弘を主役に、仲間由紀恵笑福亭鶴瓶上川隆也石坂浩二を起用した「私は貝になりたい」は、かつてフランキー堺の名演技で多くの人々の慟哭を誘った映画のリバイバル作品だ。

捕虜になった米軍兵士を、上官の命令で銃剣を使って処刑(実はその前に死んでいた)する理髪店主が、戦後BC級戦犯に問われ、死刑判決を受ける。彼は絞首刑となる際、家族あてに遺書を書く。その最後に「もし私が生き返ったら深い海の底にいる貝になりたい」と結ぶ。

家族を残し死なねばならなかった理髪店主の悔しさと、家族の悲しみの深さを思い、心は重かった。

ことしの流行語大賞は「グー」と「アラフォー」だそうだ。世相を反映したにしても、どちらも琴線には触れない軽い言葉だ(失礼、「アラフォーはそうでもないな)。このような時代にあって、どう生きていくか。2つの映画は、私たちに人間としての生き方を問いかけているのではないかと思う。