小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

346 中国の旅(2)幻のアカシアの大連

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「アカシアの大連」は昔の話だった。中国への旅は香港を含めると4回目になる。このうち揚州に続いて訪れた大連は3回目だった。その変わりようには驚いた。 揚州から大連へは、そう時間はかからない。車で1時間半かけて南京空港に行き、飛行機で大連までさらに1時間半、経済成長著しい東北の美しい街に着いた。南に比べると、少し空気はきれいだと感じた。 中心部は高層ビルが林立していた。しかし、いまや「アカシアの大連」は幻に近いというのだ。 大連は、日本との縁が深い。日露戦争以後、太平洋戦争敗戦まで続く租借地満州国支配という日本の政策によって、多くの日本人が住んだ。さらに中国建国後、1990年代に経済特区になった大連は急成長を遂げ、日系企業も数多く進出した。このため大連外国語学院をはじめ多くの大学で日本語教育をしているという。
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大連の街を歩いた。アカシア並木が目的だ。しかし、街路樹で目立つのはプラタナス(スズカケ)だ。ここには以前に2回来ている。当時は街路樹のアカシアがどこにでもあったと記憶している。それなのに、どうしたことだろう。 実はアカシアは公害に弱いのだ。次々に枯れてしまって、代わりにプラタナスが植えられた。かつて清岡卓行の名著で知られたアカシアの街の姿はもうない。それでも、一部は残っていて、毎年5月、アカシアの花が咲くころ、この街ではアカシア祭が開催されるそうだ。少なくなったとはいえ、アカシアはまだこの街の象徴なのだろう。
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アカシアといえば、高台の南山には日本人街がある。かつて、日本人が住んでいた地区だ。そこの、広い遊歩道を挟んで両側に新築された2階建ての家並みが200メートルほど続いている。しかし、その家は全部空き家になっている。これが新しくできた日本人街なのだ。
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日本人をはじめとする観光客を当て込んで2000年につくったのだが、当てが外れ、観光客は集まらず、土産物屋としてつくった建物は使われることがないまま、野ざらしになっている。寂しい思いで、もう一つの外国人の街、ロシア街に行くと、すごい人出だった。 外国人も多い。華やかなこの街から一歩裏側に足を運ぶと、現地の人々の家があった。臭気が鼻につく。ぼろぼろ状態の家が続く。道路にはごみもあふれている。 この街の最下層の人々が住んでいるのだろう。高層ビルが林立する発展途上の大連。豊かさの陰で、その豊かさから取り残された人々も少なくない。これが現代の中国の姿なのだと思った。