小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

302 旅の友は文庫本 北海道の夏に読んだ2冊

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旅をするときには、必ず文庫本をバッグに入れる。電車や飛行機、あるいはバスの中で読みふけるのが習慣になっている。数日前、北海道を旅して2冊の文庫本を読んだ。 旅の目的地は札幌と夕張。札幌から夕張に向かう。何度も列車を乗り換え1両編成のJRに乗る。乗客は数人。駅と駅の間隔は遠く、停車すると待ち時間も多い。途中、窓外に「麦秋」の黄色の波が広がる。文庫本を読みながら、時々目を外に向ける。私はいまどこにいるのかと思ったりする。
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香納諒一という作家は知らなかった。書店に並んだ文庫本の中から「この懐かしさはいったい何だろう」という帯のコピーにひかれて、分厚い「夜空のむこう」(光文社文庫)を買った。新宿の編集プロダクションを舞台に雑誌づくりにかかわる群像を14話に織り込み優しい視線で描いている。それにしても、出版関係者はよく働き、よく飲むものだ。 私の知っている新聞記者の世界と似ている。しかし、締め切りを前にした集中ぶりには驚く。香納自身が、出版社の編集者出身であり、締め切りに追われる編集者の姿はリアルで、出版業界の裏側は、このようなものなのだろうと感じ取ることができる。1話が1話が独立したものなのに、内容に一貫性があって14話を一気に読みたくなるのは、香納の筆の冴えなのだろう。 編集プロダクションの仲間たちは、徹夜をして夜明けを迎える。仕事を終える。達成感にひたりながらビールを飲む。かつてそんな経験を何度もしたから、うまいだろうなと思う。 帯にある「懐かしさ」は、読み終えて実感できた。主人公だけでなく、この作品に登場する人物たちは次第に変化していく。もがきながらも自分の好きな道を歩もうとするのである。それは若さの象徴であり、だれでもが追い求める夢なのだ。男も女もこの作品に描かれる一人一人に魅力がある。読み終えて久しぶりに心地よさを味わった。
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香納諒一は私の中では無名だが、もう一冊の「きみが住む星」(角川文庫)の筆者、池澤夏樹はそうではない。最近では「光の指で触れよ」を読んだ。「きみが住む星」は旅先でつづった22通の恋人への手紙である。エルンスト・ハースの写真が1つの手紙に1枚必ずついている。旅先がどこか(外国らしいが)は分からない。 しかし読者は手紙の差出人がどこを旅しているかを自由に想像できる楽しみがある。放浪の旅をしながら、このような美しい言葉で便りを出し続けることができたら、幸せだろう。 財政破綻した夕張市へは、昨年の夏に続く2回目の訪問だった。それにしても寂しい街だ。夜、ホテル近くの飲食店に入ると、客は私1人だけ。店の人も無駄口は聞かず、通夜のような雰囲気でビールを飲み、寿司をつまんだ。そそくさと外に出ると、映画の看板が目立つのみで人影はない。ふと、池澤ならこの風景をどのような手紙にまとめるだろうかと思った。
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(JR石勝線の終点、夕張駅の線路は地の果てにきたような印象だ)