小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

298 「こんにちはアン」 スーパー少女の生い立ち

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現代日本をどのように見たらいいのだろう。戦後の高度経済成長期、バブル経済期までを例えば「ポジティブ日本」と呼ぶなら、バブル崩壊から現代に至るまでの社会は「ネガティブ日本」といえようか。自殺者が10年連続して3万人を超えるという事実はその象徴であり、後ろ向きの社会が続いていることの証のように思えてならない。 こんなネガティブ社会の日本だからこそ、カナダの作家、ルーシー・M・モンゴメリーの「赤毛のアン」が読者の高い支持を得ているのだろう。モンゴメリーがこの作品を発表して100周年になるのを記念して発表された「こんにちはアン」(宇佐川晶子訳、新潮社、原題Before Green Gables)がつい先日、日本でも発売された。 カナダ総督文学賞最終候補者の作家バッジ・ウィルソンがカナダ・ノバスコシア州の養家と孤児院でのアンの生活ぶりをモンゴメリー原作の第5章「アンの生い立ち」をヒントに書いた長編だ。教師だった両親を熱病で早くに失い、孤児になったアンは逆境の中で生きることを強いられるが、決して後ろ向きにならずポジティブな生命力を発揮する。 引き取られた家はいずれも生活が貧しく、子沢山であり、アンは幼いにもかかわらず、働き手としてその家にはなくてはならない存在として生活する。幼いアンは次々に悲しみや苦しみと遭遇する。そんな中でも、彼女は持ち前の明るさを失わない。「スーパー少女」と呼んでいいのかもしれない。 宇佐美訳の解説を担当した梨木香歩は、いま上映中の映画「西の魔女が死んだ」の原作者だが「時代がどんどん人間疎外の方向へ進むにつれ、素朴な温かみに対する憧憬はますます強まるに違いない」と、赤毛のアンの人気の理由を記している。 さらに「悲惨な幼児期を過ごしながら、その影がないこと、学校にはまともに通わせてもらえないほど働かされていたにもかかわらず、彼女の語彙の豊富さ文学作品に対する薀蓄の多さには読者は心のどこかにひっかかりあるのではないか。バッジ・ウィルソンのこの作品は、この2つのひっかかりに正面から挑んだ」と解説する。 これまで、赤毛のアンを読んだ多くの読者は、梨木の指摘する「ひっかかり」を、読者なりに想像したはずだ。バッジ・ウィルソン作品のリアルさは、好き嫌いは別にして、その想像に対する一つの答えといえよう。100年後に作品の前編ともいえる本が出るという事実は、赤毛のアンが永遠のベストセラーといわれるゆえんであり、驚異でもある。