小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

290 人間の尊厳を問うシベリア抑留 辺見じゅん「ダモイ遙かに」

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辺見じゅんの「収容所から来た遺書」は、シベリアに抑留され、過酷な強制労働の末に収容所で病死した島根県出身の山本幡男さんの遺書を、抑留仲間たちが暗記したり、ひそかに隠して持ち帰り、遺族に届けるというノンフィクションだ。辺見はこの作品を「ダモイ遙かに」という小説に書き改め、最近新興の出版社、メディアパルから出版した。知人推薦の一冊であり、読後、人間の生と死のはかなさを思い「人間の尊厳とは何だろう」と考えた。 根幹を成すのは山本さんの遺書をめぐる動きである。これに引揚船を追ってきて、船に乗って日本に一緒に来るソ連生まれの犬「クロ」の話、山本さんとロシア人少女との交流も加えられた。それにしても山本さんの遺書は、心がゆさぶられる。昨今の日本社会は、山本さんの遺書とは縁遠い事象が多すぎる。何度も読み返してそう思った。 シベリア抑留については、多くの記録が残されている。昭和から平成へと時代が移り、歴史の中に埋没しつつあるようだ。太平洋戦争が終わってことしで63年。戦後という言葉は若い世代には縁のない言葉かもしれない。しかし昭和というそう遠くない時代に家族から引き離され、60万人もが10年間も強制労働に従事し、6万人もの人が異国の土になったシベリア抑留は、歴史の中に埋没させてはならないと思う。 作品の冒頭、ソ連生まれの犬の「クロ」が、日本人抑留者を乗せた引揚船「興安丸」を追って氷海を泳ぎ、興安丸に助けられというシーンが登場する。事実なのだ。日本にやってきたクロは子犬を1匹産んだ後、5年後に死んだが、京都府舞鶴港を見下ろす丘にクロの墓があるという。辺見は、この作品を書くにあたって、初めてシベリアの取材旅行をした。そこから山本さんと交流するロシア人少女の話も生まれる。 いずれにしても、山本さんが書いた4通の遺書は、胸に迫る。この遺書を収容所やソ連の当局に気づかれないよう遺族に届けることができるか。抑留者仲間がその一心で一体になる。それほどに山本さんは、人間としての魅力があったといえよう。そこで抑留仲間が考えたのが遺書を暗記する作戦だった。俳句仲間だけでなく、山本さんを信頼した人たちがその作戦に参加し、帰国後、山本さんの遺族の元へと伝えるのだ。 遺書は仲間向けの「本文」と「母親」「妻」「子どもたち」あての計4通だ。そのどれもが、山本さんの豊かな人間性を醸しだすものだ。電車の中でこの遺書の頁を読んでいて、涙で私の老眼は曇ってしまった。 「やさしい、不運な、かわいそうなお母さん、さようなら」(母へ)「私は君の愛情と刻苦奮闘と意志のたくましさ、旺盛なる生活力に感激し、感謝し、信頼し、実によき妻を持ったという喜びにあふれている。さようなら」(妻へ) 「子どもたち」あての遺書は、現代に生きる私たちに鋭い刃となって突き刺さる。以下に抜粋する。 -また君たちはどんな辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでもまじめな、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んでくれ。最後に勝つのは道義であり、誠であり、まごころである。友だちと交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面においてもこの言葉を忘れてはならぬ。 人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。強い能力のある人間になれ。自分を鍛えて行け。精神も肉体も鍛えて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な人間になれ。4人の子どもたちよ、団結し、協力せよ。自分の才能に自惚れてはいけない。学と真理の道においては、徹頭徹尾敬虔でなければならぬ。立身出世など、どうでもよい。自分で自分を偉くすれば、君たちが博士や大臣を求めなくとも、博士や大臣の方が君らの方にやってくることは必定だ。要は自己完成!最後に勝つものは道義だぞ。- いま、劇団「四季」がミュージカル「異国の丘」を公演している。シベリアに抑留され、帰国の日を待ち望みながら、帰国の日に亡くなった青年のストーリーである。終戦後、GHQの取り調べの当日、服毒自殺を図った近衛文麿元首相の長男近衛文隆をモデルにした作品だ。このミュージカルにも山本さんの遺書が使われているという。