小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

289 けやきと映画と本の話 「奇跡のシンフォニー」「30%の幸せ」

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最近、涙もろくなった。本を読み、映画を見ては涙ぐむことが多いのだ。アメリカ映画「奇跡のシンフォニー」は、孤児院で育った音楽の天才少年が実の父、母に巡り会うまでの話である。そのストーリーは他愛ないといえばそれまでなのだが、子どもが見ても楽しめるようにつくられていて、映画とは分かっていてもついほろりとしてしまうのだ。モーツアルトの再来を思わすような少年が周辺にいたらどんなに人々の心を明るくさせてくれるだろうかと思う。音楽が極めていい。 そんな余韻を持って、内海隆一郎の短編小説集「30%の幸せ」(メディアパル社)を読んだ。 内海は日常どこにでもあるような小さな出来事を心温まる作品に仕立てる作家で、何作かはテレビドラマ化された。短編小説を読む楽しみは、コーヒーでいえばエスプレッソを飲むようなものだろうか。ブレンドコーヒーに比べるとコクがあって濃い。使うカップも普通のカップの半分くらい小さい。凝縮された味わいがエスプレッソであり、短編小説なのだ。 内海はこれまでに「人びとシリーズ」という300編以上の短編小説を書いている。その中の20編を選んで一冊にまとめたのが「30%の幸せ」だ。その20編目に「欅の木」という作品がある。庭に残った一本の大きな欅(けやき)の木と人びとのかかわりがモチーフだ。切り倒される運命にあったけやきは、寸前で助かる。けやきとともに生き、新しくけやきの美しさに魅了された人たちの思いがけやきを救ったのだった。 けやきは、私の家の前の遊歩道にもいま緑の葉を繁らせている。駅前から約1.5㌔のけやき並木は、真夏でも直射日光をさえぎってくれる優しい散歩コースなのだ。ところが、その3分の2の約1㌔にわたるけやきが、冬の間に枝を切り落とされ丸坊主のようになった。春から夏になり枝が少し出て、そこに葉がついたが、まるでピエロのような不格好な姿をさらしている。 遊歩道周辺の家から枯葉を何とかしてほしいとか、日当たりが悪いという苦情があったのかどうかは分からない。そうした何らかのアクションがなければ、20年程度のけやきの枝を切る必要はないはずだ。内海の作品を読んで、遊歩道のけやきはなぜ切られたのか疑問が増してきた。 内海はあとがきで「人はつらいことが多いほど、嬉しいことには敏感になれる。いっぺんに幸せになることができなくとも、ほんの少しずつなら何度も幸せになっていられる。誰も、ずっと昔から、そのように自らを励まして生きてきたのだ」と書いている。私もそう思う。
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