小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

288 方丈記の時代と変わらぬ世の無常  10年連続自殺者3万人

最近の新聞報道によると、2007年1年間の自殺者は3万2000人になるという。日本の自殺者は1998年以来、10年連続で3万人を超える異常事態だ。G8ではロシアに次いで高く、世界でも9位というから、日本社会が生きるうえでつらい社会になっていることは間違いない。こんな暗いニュースに接すると、つい鴨長明の「方丈記」を読み返してしまう。

そこには12世紀末の時代にも同じような辛い日常を送った市井の人の姿があり、時代を超えて「無常」が人生には付き物なのだと、再認識させられるのだ。

方丈記24「無常の世に生きる人々」で長明は言う。

-すべて、世の中のありにくく、我が身と栖(すみか)との、はかなく、あだなるさま、またかくのごとし。いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心を悩ますことは、あげてかぞふべからず。-

だいたい、この世を生きていくこと自体、なかなか大変なことなのだ。人間である自分自身と住みかとが命短くて頼りない様もまた、これまで述べてきた災害の例から見てもわかる通りだ。自分ひとりでさえもそうなのだから、まして、人それぞれに住んでいる環境や身分・立場に応じて生まれてくる苦労の種は、いちいち数え上げたらきりがないほどに多い。(角川文庫 武田友宏編 方丈記全より)

長明が生きた時代には大地震、大火災、飢饉、竜巻といった災害が相次いだ。時を経て、現代の日本は人々の生きるスタイルは変わっても長明の時代と同じように「無常観」を抱かざるを得なくなるような現象が少なくないといえるだろう。それが、自殺者10年連続3万人超というせつない数字に表れているように思うのだ。

最近、日常生活のかかわりの中で生活に追い込まれた人たちと接することが少なくない。そうした人たちの表情はおしなべて暗く「希望」や「夢」という言葉とは縁遠いのだと感じる。

それは「個人の責任」というだけで割り切ることはできないようなのだ。社会全般が、後ろ向きの時代に入ってしまったのかと危惧するほど、毎日の通勤電車や雑踏で見かける人々の表情に明るさはない。それが自殺者3万人の実態を反映しているとしたら、やりきれない。社会全般が考えなければならない緊急課題ではないか。