小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

266 連休の朝に へそ曲がりの犬と

庭のハナミズキが雨に打たれている。白い花弁は散る寸前だが、もう一度青空を見ようと頑張っている。人影のない遊歩道には、降り続けた雨水が川のように流れている。

連休後半で、下りの高速道路はかなりの渋滞だとテレビのニュースが伝えている。しかし、遊歩道の前を通る道路はほとんど車の姿はない。私の連休は静かな時間が過ぎている。

朝、本格的な雨になる前に犬の散歩に出かけた。しかし、雨が嫌いなわが家の雌犬は散歩を嫌い、すぐに家に戻ってしまった。最近、とみに自我を通すことを覚えた彼女は、散歩途中、突然座り込んでしまうことがある。

いやな道には行きたくないという意思表示のようだ。雨の日もそれを必ず実行し、家に帰るというとすたすたと歩き出すのだ。へそ曲がりの飼い主の真似をしているのかもしれない。

数日前、この犬を連れて茨城県笠間市の焼き物市を見るためにドライブした。その帰りのことだ。一般道で車が道路わきに長い列をつくっているのを見かけた。事故と思い徐行して通り過ぎる。それは間違いでガソリンスタンドに給油する車の列だったのだ。

かつて主婦たちがトイレットペーパーの買い占めに走ったオイルショック当時を思い出したが、少しでも安くガソリンを給油しようとする車の列を批判することはできない。

かなり以前だが、周囲には「ガソリンがリッター120円を超えたら、もう車はやめる」と話す人は少なくなかった。その120円台はとっくに超え、150円台になっても車をやめたという話は聞かない。現代社会、便利な大都市を除いて、日本では車なしの生活は考えられない。

国会の「衆参のねじれ現象」の結果、ガソリン暫定税率がこの4月だけ撤廃になり、車の利用者は少しばかり助かった。だが、5月からはまた高いガソリンに戻るというので、4月の末日の30日はスタンドが満杯になる現象が全国で発生し、渋滞まで引き起こしたのだった。

いま、地方では一家に複数台が当たり前になっている。通勤のために1人1台という使い方をしている家も珍しくはない。そうした家庭は、ガソリン価格高騰の影響は極めて大きいはずだ。ガソリンに加え食品類の値上がりも続いている。政治の無策を痛感するのは私だけではあるまい。

こんなことを思う雨の日は、静かに読書でもしていた方が精神衛生にいいだろう。とりあえず、次に読む本を買い込んだ。現代の家族のあり方を描いた池澤夏樹の「光の指で触れよ」(中央公論新社)と、熊本盲学校の8人の若者がアンサンブルコンテストに挑戦することを指導した冨田篤の「息を聴け」(新潮社)の2冊である。