小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

240 えらそうな女主人のスパゲッティ店 それでも長い行列

昼時、若い友人2人(女性)と食事に行った。長い間続く虎ノ門のスパゲッティ専門店だ。既に列ができている。私の後ろに並んだ友人を見て、この店の年のころ70歳くらいと思われる女主人が言い放った。「女は嫌いよ。いやなら帰ってよ」と。

列に並んだ男性陣から失笑が漏れる。いつものことなので、私は慣れているが、2人は驚いたようだ。いまどき、こんな店が存在するのである。

「あの店はうるさいおばさんがいるので、おしゃべりをしないで、さっさと食べることだよ」と、出掛けに注意した。しかし、食べる前からおばさんの口撃(攻撃ではない)が始まった。「3人なんて掛けられないわよ」といわれ、私と2人は別の席に座る。注文の品が届く前に2人が小声で話していると、「おしゃべりはしないで」と、店中に聞こえるように怒鳴る。

1人で座っている私のところにくると、最近毒入りギョウザ事件の影響で中国産食材の輸入がストップしているため、食材が次々に値上げされていることをこぼすのだった。「いろいろ市場を駆け回っているけど、アサリも何も材料が高くなってしまっている。大変だ」というのだ。そうか、この店も中国の食材を使っていたのか。

「それでも値段は上げられないでしょう」と私。それに対して「もう限界。来週から値上げするわよ」と話し、「気に入らなかったら、こなくていいんだから」と、強気の姿勢を崩さないのだ。

店の他の従業員は、このような女主人の態度にはらはらしている。彼女は足を引きずって歩いている。「ヘルニアが悪くて、手術しないといけないんだ」とも話していたから、足が痛いので、店の客に当たっているとしか思えなかった。

座って15分ほどして注文の品がきた。3人とも黙々と、そして一生懸命にスパゲッティを口に運ぶ。かつて、一緒に食べに行った別の友人が「早く食べなさい」と、女主人に怒鳴られ、目を白黒させたことを思い出した。

女主人は、バジリコのスパゲッティを食べている友人に「手前の方にお醤油をかけてみて。かけない方と比べてみたら。おいしいから」と教える。一生懸命に食べている姿を見て、少し言い過ぎたと思ったのだろうか。

食べ始めて約5分で3人ともに麺をのどに突っ込み、店を出た。友人の1人は「おいしかったけれど、食べたような気がしない。大盛りを食べればよかった」と、悔しそうに話した。

たしかにこの店のスパゲッティはうまい。後をひくのである。しかもこの口の悪い女主人で持っているのである。ファンが多く、昼の時間は戦争状態のような雰囲気の中でスパゲッティにありつくことになる。それでも、うまいからあきもせず、通い続ける人は少なくない。

彼女と仲良くなり、顔を出すとグラスワインをサービスされる先輩もいる。一方で、女主人とけんかをして途中で帰ったり、2度と行かないと断言する友人もいる。今回の態度やこれまでの様子を見ていると、彼女は若い女性が嫌いなのだろうと思わざるを得ない。

アレルギーを起こす何かがあったのだろうか。彼女の娘さんが若くして亡くなったか、娘さんに裏切られたか、そんなトラウマがあるように思ってしまう。友人たちは「面白い店」という感想だが、短気な客ならけんかをしてもおかしくない。

うまいものを提供していれば、サービスは不要と思う彼女みたいな経営者はほとんどいないはずだ。この人は、天然記念物的存在ともいえよう。こんな店がいまもあること自体、奇跡のようだ。

3月の花、沈丁花が咲き始めた。女主人にこの香りを届けてやりたいと思う。この香りに接すれば、少しは穏やかな口調になるはずだ。