小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

220 赤い諜報員  ゾルゲ・尾崎秀実・スメドレー

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先週の新聞に小さな記事が載った。気をつけてみないと見逃してしまう。見出しには「ロ側から400万円 内調職員」とあった。いわゆるスパイ事件の報道だった。 内閣情報調査室の係官が、ロシア大使館員に情報を提供し、その見返りに現金を受け取っていたというのである。大使館員には情報担当者がいるのは公然の秘密であり、時折こうした事件が表面化する。この本の主人公、リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実が死刑になったのは、いまから60年以上も前の1944年11月のことだが、外交を舞台に諜報活動が依然続いていることを認識させられる事件である。 ゾルゲ、尾崎、そしてアグネス・スメドレーが出会うのは、戦前の中国、上海である。3人は、三角関係を続けながら、共産主義のために情報収集活動を行う。尾崎は朝日新聞記者、スメドレーはフリーのジャーナリスト、ゾルゲもソ連の諜報員の顔を隠し、ドイツの新聞記者として動き回る。しかしいつしか3人は同じ目的のために進んで行く。 上海から舞台は東京に移り、尾崎とゾルゲが活動を再開する。スメドレーは中国に残り、共産革命の目撃者の道を選ぶ。昭和の一桁の時代から19年まで、ゾルゲのスパイとしての動きは華々しい。その裏で、ソ連に帰国すればスターリンによって粛清されるという不安の中で、追い詰められていく男の姿は憐れである。 ソ連への情報伝達手段である無線が日本側に傍受され、尾崎を含むゾルゲ諜報団は一網打尽になり、ゾルゲや尾崎に死刑判決が出る。ソ連に頼んで連合国との和平を模索した日本政府は、ゾルゲらの刑執行を延ばすが、戦局悪化により19年11月7日、ゾルゲの死刑が執行される。 著者は書く。「スパイは人類の歴史で2番目に古い職業だといわれる。情報収集こそ人間の性であり、それには常にスリルが伴う。ゾルゲ国際諜報団の中に垣間見えてくるのは国家権力の狭間にあって、一方に利する行為を働くことのスリルである。最後は諜報活動に生きる者の常とはいえ、加担した国家から捨てられていく虚しさが残った」 国際社会は不安定な時代が続いている。というより、これが通常の姿なのかもしれない。テロが日常化した中で、情報戦争も激しさを増している。スパイ天国といわれる日本。第2、第3のゾルゲが暗躍しているのは間違いないだろう。 作者もあとがきで書いているように、小説的要素を取り入れたことにより、読者は3人の男女の活動ぶりが目に浮かぶはずだ。人間は目的のために命をかけることがある。自爆テロのテロリストだけでなく、ゾルゲたちもそうした道に追い込まれた。私にはとてもできないことではある。
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                   (ブログ 四季折々の雑記より) ゾルゲの鋭い目をあしらった彫刻が故国のアゼルバイジャンの首都バクーの公園にあると友人がブログで書いている。「彫刻を見れば、ゾルゲのことを知らない人でも彼ががスパイであると分かる」という。それはこの本の表紙の写真を見れば一目瞭然だ。                          (赤い諜報員 太田尚樹著 講談社