小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

177 爽快さの喪失 ボクシングの亀田

11日夜のボクシング、「世界フライ級タイトルマッチ」と銘打ったTBSの番組には、怒りを通り越して、あきれてしまった。

挑戦者の亀田大毅の反則を繰り返すふてぶてしい試合ぶりからは、スポーツが持つ「爽やかさ」は全く感じられなかった。試合開始まで1時間もだらだら番組を延ばすTBSの視聴率稼ぎの姿勢も、視聴者をなめたものとしか思えなかった。

18歳の若者が苦労の末33歳でチャンピオンになった内藤にどう挑戦するのか。試合前から亀田の不利は伝えられていた。前日には「負けたら切腹する」と偉そうに話していたが、若さを武器に「爽やかに」チャンピオンに挑めば、KO負けしても、見る者にこれほどの不快感は与えなかったはずだ。

しかし、最初からガードを固めるだけで攻めの姿勢は見せない。つまらない試合になるなという予感が当たった。反則を繰り返したあげく、プロレスまがいに内藤を持ち上げて振り落とす。これには、だれもがあぜんとしたに違いない。

いま、10代の若者がスポーツで活躍をしている。野球の楽天・田中、早大ハンカチ王子・斉藤、ゴルフの石川遼、フィギュアの浅田、安藤。この若者たちに共通するのは「爽やかさ」だ。それは潔しさにも通じる。

それが残念ながら亀田には感じることができなかった。兄の興毅にも言えることだ。亀田兄弟のこのような不遜な態度を助長させたのは、TBSだ。亀田兄弟の試合を独占放送し、まるで英雄のような扱いだ。

以前にも、試合開始まで1時間もだらだら放送を延ばし、批判があったのに、全く反省の態度が見られない。かつて「報道のTBS」といわれた伝統はもう消えてしまったようだ。

「貧すれば鈍す」という言葉がある。かつては民放の雄といわれたTBS。いまはフジ、日本テレビに追い越された結果、視聴率稼ぎの番組が目立つ。その筆頭が亀田兄弟を持ち上げる報道姿勢だ。ところが、内藤が勝ち、亀田に批判が集中すると、内藤をいろいろな番組で取り上げる。その節操のなさには驚くばかりだ。

日本ボクシングコミッションは、大毅とセコンドの父親、史郎トレーナーを処分する動きを見せている。これについて志郎トレーナーは「大毅の反則行為は故意ではない。若さ、精神的な未熟さが出た結果だ」と弁明している。

これを素直に認める人はあまりいないだろう。繰り返すが、何しろ大毅の試合ぶりからは若さは感じることができず、「臆病な少年」の試合としか私の目には映らなかった。一緒にテレビを見ていた妻も「内藤ガンバレ」とチャンピオンを応援していた。フレッシュさを失った挑戦者は、ドンキホーテよりも始末が悪かった。