小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

158 世界陸上大阪大会への思い 青春がよみがえる

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いま、大阪で世界陸上競技大会が開かれている。これまでのところ、メダルを獲得した日本選手はいない。期待は、女子マラソンしかないのかもしれない。でも、テレビで世界最高の選手たちの躍動あふれる姿を見ていると、私自身に力をもらったような気がするのである。 これはかなわないと思ったのは、女子、男子の1万メートルで優勝したエチオピア選手のラストスパートの猛烈さだった。2人ともラスト一周でまるで100メートルのようなスピードで走る。これぞ、長距離のラストの醍醐味なのである。だが、だれでもできるわけではない。ほとんどは、最後の力を振り絞っても、あまりスピードは出ない。 もう何十年も前に東京で開かれたアジア大会の男子1万メートルで日大の馬場選手が、同じようなラストスパートをしたことを覚えている。観衆には、これが長距離のラストなのだという強烈な印象を与えたのである。これが今大会で再現された。 私も中学から高校にかけ、陸上競技を少しだけやった。跳躍や中距離だった。中学時代3段跳びでひざの軟骨が出てしまって、痛い目に遭った。中距離は1500メートルを走った。 県大会の予選では、無我夢中で何とか2位に入り、県大会に出た。ペース配分など知らないから、そこでは最初から全速力で走った。ペースオーバーである。途中で息切れしてしまい、もちろん入賞には程遠かった。 高校に進んで、1年生でインターハイの県大会で走り幅跳びに出場した。当時の選手たちはほとんど白いパンツ姿だった。私は、それがなくて青いパンツを履いていた。それが気になって、競技どころではなかった。結果は、予選落ちだった。それ以来、競技への情熱は失い、練習もやめた。 しかし、時代は変わっても、陸上競技への関心は薄れていない。ひたむきに走り、跳び、投げる選手たちの姿は美しい。 勝者も敗者も、全力を尽くした選手の表情はすがすがしい。いま、オリンピックも世界選手権もアマチュア精神とはほとんど縁が遠くなってしまった。民放のテレビ中継も視聴率稼ぎの姿勢が見栄見栄で腹立たしい。だが、暑い大阪で競技に挑む選手たちの勝負への執念は、私の心に迫るのである。 (写真、ハンマー投げでメダルを逃した室伏選手。スポーツ報知より)