小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

116 私が住んだ街7・仙台編続き 新緑の季節

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新幹線網が北海道を除いて日本列島に敷設された。旅行者には大変便利な世の中である。 仙台に向かうのに東北新幹線を利用した。仙台は、20歳代に生活した思い出の都市だ。東京から乗車して停車駅は上野と大宮のみで2時間足らずで仙台に到着する。朝早い時間に乗ったので、隣に座った初老の女性は、車内販売が回ってくると、お弁当を買って、食べ始める。それがまた旅情を感じるのだった。 私はかばんから文庫本を取り出し、読み始める。森絵都の「DIVE」である。水泳競技の一種で、オリンピックの種目である「飛び込み」でオリンピックを目指す少年たちの物語だ。飛び込み競技は、日本ではマイナーの種目だ。あまり知られていない、飛び込み競技の魅力を森は見事に引き出している。解説は、ベストセラーの野球小説「バッテリー」を書いたあさのあつこ東北新幹線の窓から見る景色は緑が多く、目に優しいはずだ。しかし、私の指定席は通路側にあり、窓外の景色を見ることはできない。そのためもあって文庫本に読みふける間に、時間が過ぎて、気が付くと仙台に着いていた。 午前10時半だ。駅の市内を見下ろす広場で周囲を見渡す。かつて住んだ仙台の面影はもうない。駅の隣では高層ビルの建築が進んでいる。 地下鉄に乗って長町南まで行き、タクシーを乗り継ぐ。太白区にある在宅緩和ケアセンター「虹」というNPOを訪問するのだ。中山康子さんという看護師が代表になり、末期のがん患者や神経性難病の人たちの世話をしている施設である。 百万都市の仙台でこうしたNPOの施設はほかにないという。社会保障制度がまだ不十分なのだ。一般の民家を借り受けた虹は、広い庭があり、命の瀬戸際にある人々には安らぎの家と言えるだろう。
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仙台駅に戻り、青葉通り、一番町をぶらついた。一番町のステーキ店に入り、ランチのすき焼き丼を食べる。仙台は牛タンの町だ。なるほど、すき焼き丼はうまかった。帰ろうとすると、「コーヒーがあります」といわれ、さらにのんびりと時間を過ごす。桜が終わり、新緑の季節を迎えているが、まだ肌寒い。なのに、肌を大きく出した若い女性の姿も目に入った。ファッション優先ということなのだろう。
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駅に戻って近くの喫茶店で時間を過ごす。近くの人々は仙台弁でのんびりと話している。乗車予定の新幹線にはまだ時間が十分ある。おかしなものだと思う。新幹線に乗れば、東京から仙台や盛岡まで2、3時間で着いてしまうのに、着いた先で時間を持て余しているのだ。活動的な人なら、少しの時間でも利用して、何かを見たり、買い物をするだろう。面倒がりやの私はそれができない。だから、コーヒーを味わいながら、また文庫本に没頭するのだった。
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