小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

113 昨今犬事情 国情の違い明瞭に

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友人がインドに行ってきた。その感想を聞くと、インドの犬が悠然と道路に寝そべっているのが目についたと語る。なるほど、日本に比べ時間がゆったりと流れるインドのことだ、犬もそうした風土で同化しているのだろうと思った。 それに比べると、私が1月に行ったフィリピンの犬たちは、けっこう厳しい目付きで歩き回っていた。その点、日本の犬は飼い主の過保護ともいえるあたたかい庇護を受けているから、行動はなぜか弱々しい。 インドの話に戻る。友人は次のように観察する。以下は彼ブログの抜粋。 「インドの犬はいつも寝ている。人が頭の直ぐ脇を通っても、身動きもしない。どの犬も小太りの体型。時間帯によっては餌を求めて徘徊しているはずだが、夕方、散策した街でもほとんどが歩道や空き地で寝ていた。散策の途中、通路に寝そべる茶色の大型犬の頭の脇で足を踏み鳴らしてみた。 2度、3度と繰り返すと、ようやくうっすらと目を開けたが、うるさいと言わんばかりに直ぐ目を閉じた。ふてぶてしいというより、ふてくされている、という印象ですらある。インドは人と動物が共存する社会といわれる。人間から過度の干渉をされることなく、犬は犬なりに自分達の生き方を築き上げてきたのかもしれない。 しかしガイドブックを見ると、最近、狂犬病対策が強化されつつあるという。滞在中も「野良犬が子供を襲った」として対策強化を求める記事が地元紙に出ていた。インド社会も経済躍進に伴って急速に変化しつつある。インドの犬にとって、今が気ままに生きられる最後の時かもしれない」 だが、私が訪問したフィリピンの犬たちは、インドの犬とは違う。野良犬が目立つフィリピン。飢えにいらだち、うろうろと道路を歩いている。 体はみなやせている。しかも、ほとんどが狂犬病の注射をしていない。フィリピンから帰国した日本人が狂犬病を発病して亡くなったというニュースもことしあった。 犬にとって、幸せとはなんだろうかと思う。「野生」という言葉は、魅力的だ。自由とどこか似ている響きだ。だが、犬が自由に生きるのは、けっこうしんどい。それは、南極に置き去りにされ、2頭だけが生き残ったタロ、ジロの例でもはっきりしている。 日本はペット天国だという。犬たちもそれぞれの家で、それぞれの飼われ方をしている。しかし、ペットたちには飼い主を選ぶ権利はない。だから、どのような飼い主に出会うか。それはくじ引きのようなものである。 インド=のんびり、フィリピン=飢えによるやせ、日本=飽食と過保護。3国に住む犬たちの表情は、同じ犬種ながら異なる。(07.4.17)