小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

89 「東京大空襲」集団提訴の意味するもの

62年前の1945年3月10日未明、米軍機が東京を空襲した。約10万人の死者を出した「東京大空襲」である。この被害者や遺族計112人が国を相手に12億3200万円の損害賠償と謝罪を求める集団訴訟東京地裁に起こした。

この訴訟の意味するものは何だろうか。訴状によると、原告らは「国が戦争を開始したり、終結を遅延させたりした結果、空襲を招いた」とし、アメリカ軍の空襲を招いた責任は国にあるというのである。

常識で考えると、62年前のことをいまさらなぜと思う。どう頭を絞ってみても、裁判所が国の責任を認めるとは思えない。

太平洋戦争に関しては、中国残留孤児や従軍慰安婦問題を含め多くの裁判が提起されている。しかし国の責任を認めた判決はまれにしかない。

それでも、今回提訴に踏み切ったのはなぜか。弁護団長は「空襲については、被害者すべてを救済するのが世界の人権水準だ」と説明している。

これは大戦で犠牲になった大半の戦災者に対し、全く補償をしない国に対し、警告の意味があるのだと受け止める。

今回の原告の平均年齢は74歳で、最高齢は88歳になる。少年少女から青年に至る一番楽しい時代を送るはずが、戦争によって辛く厳しく悲しい時代を生きることを強いられた人々である。

その戦後は平穏に至るまでそれぞれに苦難の道を歩いたはずだ。

こうした人たちの声に耳を傾けなければなるまい。それは、金銭の問題ではないと思うのだ。法廷という場で、戦争によっていかに民衆が多大な犠牲を受けるかを訴えたいに違いない。

世界を見ると、戦争によって多くの民衆が逃げ惑い、明日をも知れぬ思いで生活をしているのである。今回の提訴は物言わぬ民衆の代弁でもあるのだろうか。