小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

73 スリランカの涙(1)

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スリランカは「インド洋に浮かぶひとしずくの涙」といわれ、観光地化されてない美しさから「インド洋の真珠」ともいわれているという。コロンボ市内ではハスの花が美しく咲いている。この花を見ていると心が穏やかになる。フィリピンからスリランカに旅した。以下、2回にわたってスリランカの旅を報告する。 しかし、スリランカはいま、平和とはほど遠い状況にあることを少しだけの滞在で実感した。国民の多くが内戦や津波で涙を流して暮らしているのだ。北・東部地域の分離独立を主張する少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)と政権を維持する多数派シンハラ人との民族対立が内戦に発展し、いまも連日北・東部地域で戦闘が激化しているのだ。しかも、2004年12月26日の大津波で南部地域を中心に被害を受け、国全体が疲弊しているのである。
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泊まったホテル7階には「アサヒフロア」と書かれた標示があった。日本人が多く利用することから、このような名前をつけたようだ。だが、日本人観光客の姿はなかった。外務省は北東部へは「渡航延期」を勧告し、コロンボ市内でも一般市民を狙った爆弾テロが発生しているから、観光客はいないのだろう。 スリランカでは、ちょっとした儀式や式典で日本人には珍しい光景が見られる。陶器に牛乳を入れて、薪で火を焚き、その牛乳が吹きこぼれるのを待つ。儀式の合間に牛乳が吹きこぼれると縁起がいいという言い伝えがあるのだ。
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こんなのんびりした儀式がある裏では、血生臭い殺し合いが国内で続いている。コロンボ市内の各地で銃を持った兵士たちの姿が目に付く。そんな中で、70歳を過ぎた3人の日本人がシニアボランティアとして派遣され、津波被害を受けた南部地方で活躍している。気負いもなく、自分の技術を現地の人に受け継いでほしいというささやかな思いでやってきたという3人の話を聞いて、日本人も満更ではないと思った。 日本から遠く離れた外国で暮らす人生の先輩たち。その姿は頼もしく、尊敬の念を抱いた。こうした先輩たちの努力が実り、スリランカに一日も早く平穏な日々が戻ってほしいと願わずにはいられない。