小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

72 父が眠る島 フィリピンで思ったこと(2)

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マニラはほかの東南アジアと同様、車と雑踏の街だ。現在のマニラからは、太平洋戦争時代を思い起こすことはできない。街を歩くと、豊かな生活を送る人と、貧しい人の姿が顕著である。それがフィリピンの現実だ。 父が眠るアンヘレスの実情は詳しくは知らない。経済特区としてマニラより繁栄しているかもしれない。かつての米軍基地、そして現在の経済特区のビルの下で、実は父を含めた多くの日本兵が眠っているのである。 友人がマニラで邦字新聞を出している。一夜、彼の車で繁華街に行った。3車線ある道路には、車線を記すラインはない。そこを縫うように友人のBMWは走る。けたたましいクラクションがひっきりなしに鳴る。恐々の私に友人は大丈夫だと言う。しかも彼は、赤信号を進んでもあまり事故はないと説明するのである。 酒酔い運転追放のキャンペーンが行なわれた日本。それを話すと友人は「こちらは全く気にしない」と平然と言う。そんなものかを思いつつも、助手席の私は緊張していてマニラの夜景を見る余裕はない。国民的英雄であるボクサーが申請した銃の所持許可願いをフィリピン選管が認めたという記事が目についた。 フィリピンは銃社会であり、多くの国民が許可を得て銃を所持しているという。しかし、5月に統一地方選があるので、この期間中は法律で銃の所持を禁止しているそうだ。ただ、所持の申請をして、選管が認めれば、この期間中でも銃を所持することができるのだ。ボクサーは巨額のファイトマネーを稼ぎ、しかも危険地域に住んでいるという理由で特別に銃所持許可を得たと記事は伝えていた。 「銃社会」を示す典型的な話題だと思う。ホテルの近くにある銀行ではライフルを持ったガードマンが厳しい顔つきで見張っていた。 マニラ中心部から北方35キロのタラという村(人口約3万人)に足を伸ばした。ここには国立ホセ・ロドリゲス記念病院がある。この病院はハンセン病患者の治療、療養施設としてフィリピンで一番古い歴史があり、現在は総合病院として運営されている。敷地内にハンセン病患者の病棟があり、ハンセン病患者、障害などで社会復帰できない回復者893人が生活している。この病院の近くにハンセン病回復者が働く人形制作工場があった。
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                変身人形 世界の童話をモチーフに、色とりどりの「変り人形」が並んでいた。一つの人形は白雪姫がスカートをひっくり返すと魔法使いに変身した。ほかもみな変身するからこう呼ばれ、人気があるそうだ。 ところで、ハンセン病は治る病気なのだ。だが、かつては日本も他の国々も患者を隔離し、差別した。そうした患者や回復者がフィリピンではコロニーに住んでいる。 行き帰り、にぎやかにおしゃべりを続ける女性たちの声を聞きながら、私はこの国で死んだ父のことを思い続けた。(写真はたばこ売りの少年)