小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

47 「めぐみ」 不条理と闘う両親に涙

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平和な家庭にある日不条理な出来事が起きた。最愛の13歳の娘が突然失踪したのである。全く手掛かりがつかめないままに時間が流れ、娘は北朝鮮工作員によって拉致されていたことが分かる。

娘の行方を必死に捜す横田滋・早紀江さん夫妻の30年を追った記録映画「めぐみ」(監督は米国人クリス・シェリダンとカナダ人パティ・キム夫妻 )が公開された。

北朝鮮による拉致問題を初めて記事にしたのは、産経新聞の阿部雅美記者だった。彼はこの映画でもしばしばコメントを述べる重要人物として登場する。

いまでこそ、拉致事件解決は安倍内閣でも最重要課題の一つになったが、この記事が出た1980年(昭和55)当時は、世論も政府も冷ややかだった。

横田さん夫妻のめぐみさん捜しは孤独な闘いだった。しかし、ほかにも多くの日本人が突然姿を消す事件が1970年代から1980年代にかけて相次いでいたのである。

日本政府もようやく1991年になって拉致事件の存在を認め、北朝鮮に対して拉致問題の解決呼びかけた。1997年には拉致被害者の家族による「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成され、横田さん夫妻の孤独な闘いに多くの仲間ができた。

  

これに対し北朝鮮拉致問題の存在を頑強に否定し続けた。ようやく2002年9月17日の小泉前首相と金正日との日朝首脳会談で、北朝鮮側は日本人の拉致を初めて認め、蓮池薫さんら5人の帰国が実現した。

しかし、めぐみさんは「病院で自殺した」という報告を横田さん夫妻は受ける。その後、めぐみさんの娘(キム・ヘギョンさん)の存在、北から送られためぐみさんのものとの遺骨は、DNA鑑定で別人のものとされるなど、拉致問題の象徴として、めぐみさんは取り上げ続けられる。

ごく一般的なサラリーマン(日銀職員)だった横田滋さんと妻の早紀江さんの生活は、めぐみさんの失踪前と後では全く激変した。2人とも穏やかな顔つきである。だが、その目は、娘を返してほしいという強い光がある。

穏やかな横田さん夫妻の口論する場面も映画では登場する。それだけ、2人が映画制作者に心を許したということだろう。こういう映画を日本人監督が撮ることはできなかったのだろうか。

この世界は、戦争を含め不条理がつきまとう。眦を決して不条理に挑む横田さん夫妻の姿に涙し、勇気付けられる思いで映画館を出た。

 

(写真は29日朝、木漏れ日の中を遊歩道で登校する子供たち。映画とは無関係です)