小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

237 3月は「わかれうた」の季節 友人の転身

 若い友人からメールで昼食に誘われた。昼食の誘いなのに「お話があります」と付け加えてある。あらたまったメールに「何かあるな」と思って、顔を会わせると「仕事を替えることにしました」という報告だった。

  友人はいまの仕事に就いて2年になる。就職してすぐに「この仕事に私は向いていない」と思ったのだという。以来、多忙な日々の中で、模索を続けた結果、転身を決意したようだ。

 つい最近、南米から日本に留学している学生たち6人が岐阜県美濃加茂市にあるブラジリアン学校で、ブラジル出身の子どもたちに進路指導をした。その場に付き合った。6人のうち3人が医学研究生で、学生たちは自分が歩んできた道を振り返りながら「好きなことを目指しなさい」とアドバイスをした。

  しかし「言うは易し行うは難し」なのだ。彼ら自身もこれまで辛苦を重ねてきた。進路では夢を実現し、さらに日本に留学できた。それは才能に加え、運が作用したとしか思えない。

  友人は好きなことを目指す。これまで培ってきた語学を生かし外資系の企業が新しい職場だという。たぶん、友人の行く先にはさまざまな難問が控えているはずだ。

 それはそれでいい。難問を解き、あるいは解くことができずに立ち往生する日もあるかもしれない。それが友人の選んだ人生なのだ。南米からの留学生のように、辛苦の日々が待ち構えているかもしれない。それを克服し、後悔しないように生きればいい。

 「過去は振り返らない。これからが大事なのだ」が口癖の人が周辺にいる。できればそうした日々を送りたい。が、馬齢を重ねるごとに、過去を懐かしんでしまう。それが凡人の宿命なのだろうか。

  過去から現在に至るまで、出会った人は少なくない。ふとした機会にそうした人々を思い出す。若い友人もその1人になるはずだ。

  友人の笑顔を思い出しながら、中島みゆきの「わかれうた」を久しぶりにくちずさんだ。