246 731部隊の闇 取材の深さを示した青木冨貴子の作品
もう20数年前になるが、中国東北部各地を旅したことがある。かつて満州と呼ばれ、日本とは縁が深い地域だ。北京から飛行機で大連に飛び、その後は列車の旅だった。中でもハルビン郊外の731部隊の跡地を案内されたときの気持ちは暗かった。
東北部の旅は3週間に及び、大連~鞍山~瀋陽~長春~ハルビン~方正~チャムスを訪れた。各地に住む中国残留日本人孤児との面会という仕事に加え、日中戦争にゆかりのある場所も見ることも目的の一つだった。どこに行っても、日本人は珍しいのか私たちを囲んで人だかりができた。ハルビン郊外の731部隊跡の学校にも行った。夏なのに、なぜか鳥肌がたつような妙な気持ちになった。
石井四郎中将をトップとした部隊がここに大規模な細菌戦の研究所をつくり、中国各地で実際にその細菌兵器(ペストやコレラ菌)を使用し、中国人捕虜に人体実験を繰り返したという。戦後になりこの石井部隊の関係者はなぜか、戦犯に問われなかった。青木は、この謎を入手できうるだけの資料を駆使して解いていく。細菌兵器開発資料を米国の関係機関に渡した結果、戦犯としての訴追は免れたという説を青木は丹念に追っていく。その結果、731部隊の研究の重要さに気がついたソ連に研究資料を渡さないためにGHQが石井らと取引したことが裏づけられる。
青木はこのノンフィクションの取材過程で、関係者から石井直筆のノート2冊の提供を受ける。そのノートを解読することで、731部隊関係者が戦犯にならなかった謎も判明する。新聞記者だけでなくノンフィクションライターは、どこまで深く取材できるか勝負なのだ。 その記事や作品の面白さ、質の高さ、内容の豊富さは、取材の深さによって違ってくる。青木の作品は、時間をじっくりとかけた結果、石井ノートの発見という重要な要素が加わり、昭和の歴史でも未解明な部分が多い731部隊の戦後史を描き出したといえよう。
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