小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

214 夕日の公園 茜色の海

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 犬を散歩して公園を通ると、愛犬を連れた人たちが集団を形成していることをよく見かける。ペットを通じて、交流をしているようだ。 私は、時間がもったいないので、そうした輪には入らない。そうした人たちは、ペットのリードを外してやり、犬たちを勝手に遊ばせている。犬嫌いな人から見たら、迷惑この上ない行為なのだが、本人たちはどう思っているか聞いたことはない。

 きょうもドライブをしていて、千葉港(千葉市中央区)のポートタワーがある大きな公園に初めて行った。すると、公園の一角では、ペット交流集会が続いており、別の場所では犬の訓練士と思われる数人が犬の訓練をやっていた。 海が目の前にあり、夕日が美しい。犬たちはリードを外してもらい、走り回っている。交流している人たちは、ここが穴場と知り、車でやってきたのだろう。まるでペットの楽園である。

 ほとんどの公園には野球禁止、犬の鎖を外さないよう注意書きがある。もちろん、ポートタワーの公園もそうだった。しかし、犬を遊ばせたり訓練する2つの集団だけでなく、別の場所では何組かがキャッチボールをやっている。 それだけ、この公園は規模が大きいわけで、散歩の人たちも迷惑顔をしていない。ポートタワーに隣接してこうした広大な公園があることは知らなかった。

 日本の公園は一様に狭い。だから、利用に当たっては多くの制約が伴う。野球をする場所が少なくなっている。北京五輪の野球監督、星野仙一さんも嘆いているように、キャッチボールができない少年が増えつつあるそうだ。公園ではサッカーボールで遊ぶ子どもが目に付く。少年たちは野球よりサッカーに目が向くのだ。 人工海浜を歩いた。夕日が海を茜色に染めている。

 夕日に向け携帯電話のカメラを構えていると、一緒に連れて行った犬のhanaは、のんびりと私の姿と海を交互に見つめている。最近、とみに家族の言葉を理解するようになったhanaも、この風景が気に入ったのだろうと解釈した。