小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

130 ウグイスが鳴く朝 うれしい自然の復活

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 私の家の近くに調整池がある。この調整池に接して小さな森があって、この街に住み始めたころから春から夏にかけてウグイスの鳴き声を楽しみにしている。もちろん、真夏にはセミがうるさいぐらいに合唱している。このようなオアシス的な場所は貴重である。 家からこの林までは250メートルくらいしかない。

 家の前の遊歩道両脇に植えられたけやきの木がだいぶ大きくなった。家々の庭の樹木もかなり茂っている。そのためなのかどうかは分からないが、ことしはわが家の庭にもウグイスがやってきて、このところ毎朝「うるさい」くらいにさえずる声が聞こえるのだ。 ウグイスについて、いまさら説明を加える必要はないだろう。昔から、この鳥は和歌にも歌われるほど、その鳴き声の美しさゆえに日本人に愛されてきた。

「春告鳥」ともいわれている。しかし、警戒心が強いらしく、鳴き声が立派なわりには、その姿はなかなか見ることができない。 春先に庭先によく現われるメジロと混同されることがあるが、メジロのように愛らしい姿はしていない。樹木や藪に溶け込んでしまうような、どう見ても美しさとは縁がなく、印象薄いのがウグイスの姿なのだ。

 ゴルフをやる人は、この鳥の鳴き声を楽しみにしてプレーした経験を持っているだろう。テレビで放映された女子ツアーの試合で、パットの最中にウグイスの声がうるさいほど聞こえてきた。 わが家はそれほどに、都会の中の田舎といえる場所にあるのだろうと思っている。ところが、この鳥を「市や町の鳥」にしている自治体を調べて見ると、何と東京の大田区が入っている。東京では青梅市もそうだが、想像はできる。

 千葉県の市川市も都心に近いが、市の鳥にしているそうだ。そうすると、この鳥は都市部でも生息ができる強さを持っているのだろう。 とはいえ、わが家の庭にまで来るようになるまで何と20年近い歳月を要したのである。原野を切り開いて住宅街にした結果、ウグイスは調整池の林や公園にだけ姿を見せていた。

 長い歳月が過ぎ、ウグイスが動きやすい自然条件が私の家周辺にもそろったのだろう。 早朝、飼い犬のゴールデンレトリーバー「hana」と散歩に出る。それを歓迎するかのように、ウグイスが鳴いている。この幸せな朝のあいさつは、ここ当分続くはずだ。