小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

121 田舎暮らしとは 四国・大三島にて

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 瀬戸内しまなみ海道のバスに初めて乗った。広島県福山市から愛媛県の2つ島をめぐった。それは中国地方から、四国を結ぶラインだった。バスの終点は今治だが、ここまで行くには6つの島を経由する。順に向島因島生口島大三島伯方島、そして大島である。

 このうち所用で伯方島大三島の2つを訪れた。両島とも、合併して今治市になってはいるが、過疎が進行中と聞いた。 帰りに一人の老人と知り合った。大三島には、国宝、重要文化財の武具類を所蔵する大山祗神社があり、ここには昭和天皇葉山御用邸で海洋生物の研究をした際に、利用した木造の「葉山丸」が展示されている。

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 大三島で用事が終わり、バスの停留所でバスを待っていると、一人の老人が現れた。見るからに70歳は過ぎている。小さな段ボールを抱えている。時刻表を見ながら、落ち着きがない。初めての土地でバスに乗るような雰囲気だ。「福山に行くにはどこで乗り換えればいいんじゃろうか」と聞かれた。

大三島バスストップらしいです」と私。 私も福山まで行くのだ。間もなくバスが来て、運転手に聞くとやはりその通りだった。10分足らずで乗り換え場所に着いた。そこは「多々羅大橋」で知られる風光明美しまなみ海道の観光拠点だった.。

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 福山までのバスが来るまで1時間ほどの時間があった。海岸で美しい瀬戸の海をたんのうし、道の駅をのぞいて時間をつぶした。バス停に戻ると、あの老人がいた。もう一人、同じところから乗ったリックを持った人と話している。年格好から見て、定年退職して、好きな所を一人旅をしているような感じの人だ。

 2人の会話の輪に入った。 釣りの話をしていたので、老人に「釣りに来たのですか」と私は聞いた。それは全くの見当はずれの質問だった。この問いに対し、彼は次のように話したのである。 「私はいま、神戸に住んでいます。実はこの島の出身なのです。島には私が生まれた家がありますが、いまはだれも住んでいません。

 家の周辺には両親が丹精をこめて植えたミカンの木がかなりあります。いまは、夏ミカンの収穫期なので、先月の23日から一人で故郷にやってきて、ミカンの収穫作業をやりました。

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 全部で段ボール70箱分の夏ミカンを収穫しました。多すぎるので、近所に配り、さらに北海道から東京、大阪などの親類に送りました。送料だけで4万円がかかりましたよ。小さな実は今回は収穫していません。

 夏になったらまた収穫に来ようと思っています。道の駅で売った夏ミカンはキメが荒いように見えました。ミカンの手入れは大変です。下草の刈り取りもしないとだめなので、けっこう疲れましたな」 このような話を聞いていても、なかなか福山行きのバスは来ない。バス停の周辺にもミカン畑があり、その花が満開だった。さらにその近くには、ラベンダーのような紫色の花が雑草に混じって咲いていた。

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 老人の顔は、夏ミカンの収穫と手入れで疲れきったように見えた。黙々とミカン畑で働く老人の姿を想像した。1ヵ月近い間、故郷の家での1人暮らしははたから見れば気楽そうに思える。が、そうでもないと老人の顔には書いてある。老妻の待つ神戸に帰るのがとてもうれしそうなのだ。団塊の世代が定年退職を迎えている。

 そして、「田舎暮らし」を志向する人が多いという。しかし、大三島で出会った老人の話から、私は田舎暮らしはそう簡単ではないというメッセージを受け取った。かつての勤務先の先輩が定年を前に退職して今治市で田舎暮らしを始めた。その先輩も先ごろ亡くなり、田舎暮らしの体験を聞くことはできなくなった。