小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

05 優等生の討論会 自民党総裁選

 11日に日本記者クラブで行われた自民党総裁選候補者の公開討論会をテレビで見た。3人の候補がそろったものの、既に安倍官房長官の独走状態になっているという見方が強く、谷垣、麻生の両氏とも安倍氏に気を遣った物言いぶりで、迫力、緊迫感ともにないつまらない討論会だったという印象を受けた。

  小泉首相も1票を投じると言い切り、次期総裁と首相の椅子を確定的にした安倍氏は、断定的な言い方を避けて、多くの問題について抽象的な口ぶりに終始した。

 「自民党をぶっ壊す」といった小泉首相とはかなり違っていて、優等生的な悪く言えば官僚出身のような答弁ぶりが目立ったといえようか。谷垣、麻生氏も大同小異だった。

  いま、日本の政治家のかなりの人たちは2世、3世の世襲議員である。安倍氏と麻生氏は日本の首相を経験した大物政治家を祖父に持つ。

  政治家にとって必要だといわれる「地盤、看板、かばん」の3つの要素が2世、3世ならば比較的容易に手に入るために、こうした現象が続くのだろう。

  そうした人たちは実は庶民生活とは縁の遠い世界に住んでおり、2世、3世議員が国会の多くの議席を占めるようでは、日本の政治がよくなるはずはないと確信する。日本の官僚機構は優れているといわれた。多くは東大法学部を出た優等生が各省庁の幹部となり、政策を立案してきた。

  しかし、こうした優等生の集まりである財務省(旧大蔵省」は、国の借金が800兆に膨れあがっているのに、適切な手を打つことができず、いまも借金は増え続けているのである。そして、政治家も役人のだれもがこの責任を負わない。不思議な国、ニッポンなのである。

  公開討論会を見て、お坊ちゃん・優等生にまかせて日本の政治は大丈夫なのかと、危惧を抱いた。それは私だけではないと思うのだ。