小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2855 マロニエの下の子どもたち 処暑前の朝に

マロニエが朝日に輝いている

 毎日「暑い、暑い」と言いながら、生活している。暦の上ではとうに「立秋」は過ぎ、23日が「処暑」なのだ。暑さが少しやわらぎ、朝の風や夜の虫の声に、秋の気配が漂うころ、といわれている。猛暑に耐えながら、近づく秋の足音に耳を澄ましている人が多いのではないか。朝のラジオ体操広場。少しだけ実が付いたマロニエ(セイヨウトチノミ)を見上げ、かつてその実を拾っていた女の子がいたことを思い出した。あれから7年の歳月が過ぎている。

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 以前のブログにこんなことを書いていた。

「9月になった。マロニエの実が次々に落ちてきて、気を付けないと頭に当たる。遊歩道はマロニエの実と剥がれた皮が転々としていて、初秋の風物詩を演出している。マロニエは私が参加しているラジオ体操広場にもある。この広場は遊歩道とつながっていて、毎日40人前後が集まってラジオ体操をする。学校の夏休み中は数人の子どもが参加していた。だが、途中でその数が減り、最後まで残ったのは小学校1年生の小さな女の子1人だった。マロニエの実(セイヨウトチノミ)は8月下旬から少しずつ落ち始めていて、女の子はある日小さな手いっぱいに実を集めて家に持ち帰った。栗の実と思ったようだった。だが、母親から『栗とは違うよ。庭に埋めなさい』と言われたそうで、次の日から集めるのはやめた。夏休みが終わって女の子は姿を見せなくなった。そして遊歩道と体操広場には落ちた実がかなり目立つようになった」

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 小学校1年生は7歳か早生まれの6歳だ。このブログは2018年9月4日に書いており、間もなく7年になる。あの子はもう13歳か14歳、中学生になっているはずだ。小さかったが、大きくなったことだろう。歳月人を待たずで、子どもは成長し私たちは年老いる。当時、ラジオ体操に参加していた子どもは数人だった。ことしは一番多い日で25~30人と、驚くほど増えている。少子高齢化時代とはいえ多くの子どもたちが集まる朝は、大人たちも嬉しそうな顔をしている。

 7年前のブログに書いた女の子は、マロニエの実をたくさん拾った。だが、その後マロニエは大きく成長し、市が整枝のため伐採した。そのため実は1、2本の木に少し付いているだけで、子どもたちが実を拾う姿は見られない。子どもたちの夏休みはあと10日。体操会場も寂しくなる。

 マロニエといえば、パリのシャンゼリゼ通りがよく知られている。凱旋門前からコンコルド広場まで続くマロニエの並木道だ。シャンゼリゼと聞いて「オー・シャンゼリゼ」(「シャンゼリゼ通りには」、「シャンゼリゼ通りで」という意味)というシャンソンを思い浮かべる。パリで最も美しいといわれる通り。歌詞にはこの木のことは出ていないが、今年はどれほどの実が付いているだろうかと想像する。パリも猛暑が続いたというから、マロニエはパリっ子に涼をもたらしたに違いない。

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