小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2860「帽子を食べる」政治家 「首をやる・腹を切る」と同義語

クロアチアの音楽家たちの街頭演奏風景。帽子の人は奥に1人だけ。

 世間には「私の言うことには間違いがない」という自信家がけっこう多い。日本では間違っていたなら「首をやる」とか「腹を切る」という言葉も使われるが(私は言ったことはない)、西洋では「帽子を食べてやる」という言い方をするそうだ。所変われば、ということなのだが、言葉の使い方はそれぞれの違いがあって、なかなか面白い。世界の現状を見ると、帽子を食べなければならない政治家は少なくない。

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 英語で「eat my hat」が、これに当たる。政治家は様々な公約をする。日本の歴代内閣の政策では「所得倍増計画」(池田内閣)、「列島改造」(田中内閣)、「構造改革」(小泉内閣)などがよく知られている。第一次安倍内閣の「美しい国づくり」は抽象的だったし、現在の石破内閣の「納得と共感」もよく分からない。

 選挙演説中に銃撃されて死亡した安倍元首相は、首相在任時に起きた森友学園の国有地取引をめぐる疑惑に対する国会質疑で「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した。この答弁を受けて財務省が関係文書の改ざんを近畿財務局に指示し、担当職員の一人赤木俊夫さんが自殺し、佐川宣寿元理財局長が安倍氏に忖度する発言を繰り返したことはよく知られている。この事件では「帽子を食べなければならない」関係者が少なくないと思われる。

 アメリカのトランプ大統領は、かつてロシアとウクライナの戦争について「24時間で終わらせる」と豪語していた。パレスチナ・ガザ地区については、住民180万人を他のアラブ諸国に移住させ、アメリカが荒廃したパレスチナの領土を「引き取り、開発する」べきだと、驚くべき主張をしていた。両方とも実現不能の絵空事で、「帽子を食べる」ことが必要な口から出まかせ、虚言といっていい。

「帽子を食べる」は、そんなことは絶対にないという意味で、起こりそうにないこと、不可能と思われることを強調するためのイディオム(慣用句)だそうだ。相手の言動に対する不信感や懐疑心を示す場合やユーモア、皮肉としても使うという。ところで、日本の街ではスポーツ用の帽子をかぶった人を見かけるが、麻生元首相のようなボルサリーノなどの西洋風の帽子姿はほとんど見かけない。ということは「帽子を食べる」ことわざは、日本では通用しないのかもしれない。

観光客でにぎわうイタリア・ポンペイ、こちらも帽子の人は少ない。

 

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