四季折々
ひっそりと咲くツユクサ 昔から「二八(にっぱち)」という言葉がある。2月と8月は商売の売り上げが落ちる月ということが語源だそうだ。2月は年末年始の反動で需要が落ち込み、8月は暑さとお盆休みで物が売れない、ということだ。かつてこの二八現象は、…
朝日と夕日。あなたはどちらが好きですか。愚問? 私はどちらでもいい派です。なぜ、と聞かれたら困るのですが……。朝日と夕日に対しその日で印象が変わるからです。
うつむくようなオニユリの花 うつむいて何を思案の百合の花 正岡子規 百合の季節です。庭の一隅では「ヤマユリ」が、近所の遊歩道の脇には「オニユリ」がそれぞれ花を咲かせ始めました。感心な植物です。こんなに暑い日が続いても、自分の花の時期は心得てい…
ハルシャギクが美しい 「腐草為蛍」=腐草化(ふそうか)して蛍となる=は、草が腐って蛍になるという昔からの俗説だ。蛍のことを「朽草」(くちくさ)と呼ぶのは、この説に基づくものだという。蛍を観察していると、たしかに水辺周辺の草の中から光を放ちな…
花が咲かなかった桐の木 政治家を筆頭に、この世界にはおかしな人間が増えている。それと歩調を合わせるように、自然界も次第に変調を来している。昨今、世界の動き、日本社会を見ていると、そう思わざるを得ない。自然界の変調は気象の狂暴化現象だ。そのほ…
金沢文庫・称名寺の黄色の花菖蒲 立夏が過ぎて夏至があと1カ月余に迫り、夜明けが次第に早くなりつつある。夏の早朝は気持ちがいい。子どもたちは朝が苦手かもしれないが、逆に高齢者は朝が友だちといっていい。散歩やラジオ体操で交わされる「おはよう」と…
白い小さな花がびっしりのエゴノキ 夕方、目の前が急に暗くなりました空を見上げると、あの人の顔に似ている雲が出ていました怒っているような、それでいて笑っているような何とも不気味な雲です今にも雨を降らせるような黒い雲それを私はトランプ雲と名付け…
小高い山から見たある都市の風景 君あしたに去りぬゆうべの心千々に何ぞ遥かなる。 君を思うて岡の辺(おかのべ=丘のあたり、ほとり)に行きつ遊ぶ。岡の辺なんぞかく悲しき。 これは、誰の詩だろう。詩に詳しい人には常識だろうが、江戸時代の俳人で画家の…
白い花のヤマボウシが満開 子どもの日。かつては柏餅と粽(ちまき)を食べる習慣があった。連休を利用して故郷に帰省して、柏餅を食べている人たちもいるだろう。柏餅は夏の季語であり、中には哀切を帯びた句もある。以下の3句はその代表かもしれない。この…
朝、散歩をしていると、「チョットコイ、チョットコイ」と鳥の鳴き声がする。4月はウグイスとともに、この鳴き声がよく聞こえた。コジュケイという野鳥だ。今日から5月。今度は「トッキョキョカキョク」という鳴き声の野鳥の出番になってくる。ホトトギス…
「五風十雨」(ごふうじゅうう)という言葉がある。5日に1度風が吹き、10日に1度雨が降るという意味から転じて、天候が順調で農作物に都合がいいことを指す。さらに、世の中が平穏無事であることのたとえにも使うといわれるが、昨今はこの言葉を引用した記…
池の端に咲くヤマフジ 私の住む街の真中にかつての里山がそのまま自然公園として残っている。4月も下旬となり、このところ最高気温は25度を超える夏日も記録し、急に新緑が目に付くようになった。公園を歩くと、山野草や樹木が「よく来たね」とでも言うよ…
樹々の若葉の光り揺れだすメヌエット 音楽を俳句に取り入れた加藤千世子(1909~1986)の句だ。夫は人間探求派の俳人、加藤楸邨(しゅうそん)。散歩をしていて、樹々の若葉が萌えている風景を見ると、体が軽くなりスキップをしたくなるような思いがする。今…
「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」ということわざが昔からある。『故事ことわざ辞典』(東京堂出版)には「桜の枝は折るがよく、梅の枝は切るがよい」という説明が出ている。さらに『続故事ことわざ辞典』(同)には「桜折る馬鹿柿折らぬ馬鹿」(桜の枝を折ると枯…
核弾頭五万個秘めて藍色の天空に浮くわれらが地球 昨日のブログで紹介した宮城県気仙沼大島の歌人、小野寺文男さんの短歌の師である加藤克巳(1915~2010)の歌だ。3月も今日を入れてあと1週間。今朝は藍色の空が広がっていた。しかし、この地球には悪魔の…
3月も中ごろ。桜の開花が近づき、ウグイスの初音も聞いた。旧暦七十二候「啓蟄末候」の「菜虫化蝶」(なむしちょうとなる=青虫が羽化して紋白蝶になり飛び交う頃)は15日、次の「春分初候」の「雀始巣」(すずめはじめてすくう=スズメが巣を作り始める…
急に暖かくなった例年より開花が遅い近所の河津桜ようやく満開になった街の中央にある高台の公園この街を開発した数十年前一軒の農家が最後まで立ち退きを渋っていた交渉が成立してこの家が立ち退いた跡が整備され河津桜とイチョウの名所になった大昔から人…
人はなぜ口笛を吹くのか。私は散歩をしていて、気分がいい時などつい口笛を吹くことがある。歌人である石川啄木の詩集を開いたら、「口笛」という詩が載っており、読んでいて気持ちが軽くなった。この詩と似た句を放浪の俳人、種田山頭火も作っていたことを…
ホウセンカの花 あやまちはくりかへします秋の暮 無季俳句の俳人、三橋敏雄(1920~2001年)の句だ。広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」をもじったことで知られる、世の中の無常観を表した句だ。秋…
立春から始まり、四季の移ろいを示した旧暦「二十四節気」のうちの「大暑」は昨22日だった。さらに季節の出来事を名前にしているという「七十二候」のうち、大暑の初候は「桐始結花」という。紫色の桐の花が咲いたあと、実を結び始める時期を表すそうだ。…
(満開のブーゲンビリア) 「ブーゲンビリア」の花(白、赤、紫、ピンクなど)を見ると、だれしも南国を連想するでしょう。南アメリカの熱帯雨林が原産のオシロイバナ科の半蔓性の低木です。最近は私の住む首都圏でもそう珍しくない花になっています。この花…
梅雨が明けたとは発表されていないのだが、このところ猛暑が続いている。ニュースでは連日、熱中症に注意とやっている。そんな時、涼を求めるには室内ではエアコンを使い、山や海に行くのもいいだろう。山や海は面倒だから、私は適当に本を手に取る。頁をペ…
今年も庭の一隅にヤマユリ(山百合)の花が咲いた。濃厚な香りがすると思ったら、「早く見つけてください」と言うかのように、2輪の花がこちらを向いている。近所の公園に足を向けた。ここもこのユリがあるはずだ。遊歩道から斜面を見上げると、白い数輪が…
朝の散歩コースは、濃霧に包まれていました。はっきりと目に見えるのは、満開になったソメイヨシノの花だけなのです。画家のゴッホは、自然界の姿をさまざまな絵に描きました。彼は「人の心を高揚させ、慰めてくれる自然をつくりだしたい」(友人エミール・…
「春怨思慕」(しゅんえんしぼ)という言葉を使ったのは、詩人の萩原朔太郎だ。『郷愁の詩人与謝蕪村』という「蕪村論」の中で春の句に関して、こう表現した。春怨は「若い女性が春に抱く物思い」で、思慕は「恋しく、なつかしく思うこと」(以上、広辞苑)…
「書はあたり前と見えるのがよいと思ふ。無理と無駄との無いのがいいと思ふ。力が内にこもつてゐて騒がないのがいいと思ふ。悪筆は大抵余計な努力をしてゐる。そんなに力を入れないでいいのに、むやみにはねたり、のばしたり、ぐるぐる面倒なことをしたりす…
竹林の中に住み「竹林の隠者」といわれた作家で詩人の富士正晴(1913~1987)の『十一月・赤』という詩は、11月という季節を的確に表している。今年は11月になっても、各地で「夏日」(最高気温が25度を超える)を記録するなど、気候変動が激しい。そ…
スポーツのリレー以外にもさまざまなバトンタッチがある。四季がある自然界。観察していると、今はバトンタッチの季節といえる。私の散歩コース、調整池の周辺でも蔓延っていた葛に代わるように、急にススキとセイタカアワダチソウが目立ってきた。前者は白…
(競うように咲いたヤマユリ) 今年も近くの自然公園でヤマユリが咲いた。散歩をしていたら、甘い香りが漂っている。ふと目を斜面の上の方に向けると、何カ所かでこのユリが競うように花を開いていた。今年は桜を筆頭に様々な花の開花が早いが、ヤマユリだけ…
(葉が白くなった半夏生。棒状の穂が花) 朝、散歩をしながらラジオを聴いていたら、アナウンサーが「きょうは半夏生(はんげしょう)の日です。近くの公園に半夏生の花が群生していますとか、きょうはタコを食べる習慣がありますなど、半夏生に関するお便り…