小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

2283 「どこまで続くか悪の道」忍び寄る特殊詐欺

(菜の花が咲き始めています) 特殊詐欺という犯罪が日本社会を揺るがしている。グループは手口を凶悪化、強盗殺人事件まで引き起こしている。グループを率いていた疑いのある4人がフィリピン・マニラから送還、逮捕された。警察の総力を挙げての捜査で事件…

2282 浮かれてはならない春 鶯の初音を聴いて

鶯の初音を聴いた。この季節になると、いつになるのかと散歩をしながら耳を澄ます。待望の鳴き声を聴くと、得をしたような気分になる。今日は2月26日。過去に私が初音を聴いたのは、一番早くて2月20日頃(2016年)で、遅い年は3月半ばだから、平…

2281 プーチン氏は妖気と死の崇拝か ロシアのウクライナ侵攻1年

(日本は春めいてきたが……。東京国立博物館で) 「妖気が漂う」。原稿用紙に書かれた生原稿を見て、それをチェックするベテランのデスク(取材の指示や記事のチェックをする)がこんな言葉を吐いた時代があった。どんな意味かといえば、「この原稿は危ない」…

2280 何を語るのかシーレの風景画 母の故郷追われて

(『モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)』) 風景画で私が好きな一枚といえば、オランダの画家、ヨハネス・フェルメール(1632~75)の『デルフトの眺望』である。オランダの古都デルフトの朝の風景を描いた作品で、愛好者も多い。一方、ニヒルな表情の自…

2279 春呼ぶ「ばっけ」 詩人も楽しんだ季節の味

ラジオ体操仲間から「ふきのとう」(キク科の植物、ふきの花茎)をもらいました。青臭い香りとほろ苦い味のふきのとうは、春が駆け足で房総のこの地域にも近づいていることを示しています。東北地方北部ではこれを「ばっけ」という呼び方をするそうです。私…

2278『現代を歩く』(27)「たったのひとしずくでも」

(ペルーの古都クスコで見かけたハチドリ) 『ハチドリのひとしずく』という言葉が川原尚行さん(45)から出てきたとき、私はじっと耳を傾けた。ある会合であいさつしたのが、アフリカのスーダンで医療活動をしている川原さんだった。この時、川原さんはアマ…

2277 俳句に込めた祈り 言葉はこの世で最も美しいと詩人が言う

(紅梅と白梅が同じ道に咲いている) 紅梅が咲き、さらに白梅の季節になった。梅は春の季語だ。梅に関する俳句を俳句歳時記で見ていたら、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句で知られる中村草田男(1901~83)の句が目についた。「勇気こそ地の塩な…

2276 絶望と勇気どちらを選ぶ「生きる悲しみ」の時代に

(近所の公園で咲き始めた河津桜の蜜を吸うメジロ) 「二度と人間に生まれたくない」。第1回直木賞受賞者で作家、劇作家の川口松太郎(1899~1985)からこんな言葉を聞いたと、同じ劇作家の宇野信夫(1904~91)がエッセイ(山田太一編著『生…

2275『現代を歩く』(26)みんなでやろう「おらほのラジオ体操」

毎朝の散歩コースに当たる公園の一角でラジオ体操をやっているグループがある。夏は40人近く、真冬でも15人前後が集まっている。私もその一人だ。1928年からスタートしたラジオ体操は国民的体操といっていい。このラジオ体操が東日本大震災の被災地…

2274 トルコの人たちへの励まし 挫けないでと「ホジャ」

大地震のあったトルコ南部とシリア北部の地図を見ている。がれきと化した街、真冬の厳寒の中で立ち尽くす人たちの姿。大地震の死者はこれまでに2万3000人を超えている。地球は不幸を満載した星だと思わざるを得ない。地図の後、1冊の本を取り出した。…

2273『現代を歩く』(25)「病気になってからお父さんの笑顔を初めて見た」 難病の子どもが遊ぶ夢のキャンプ場

(白銀の世界のそらぷちキッズキャンプ)このコラム『現代を歩く』の1回目で「支え合う小さな命 小児がんの子どもたち」(こちら→)と題して石川福美さんと結城桜ちゃんの話を紹介した。そんな難病と闘う子どもたちが外気を思い切り吸い、自然に親しむこと…

2272『現代を歩く』(24)「大災害に耐え抜いて!」 先人との対話

(春を告げるマンサクの花が咲いた) 巨大地震と大津波、さらに原発事故によって平穏な生活を奪われた東北地方の岩手、宮城、福島3県には「苦境」にあって範となる生き方をした先人がいた。宮沢賢治(岩手県花巻市生まれ)、土井晩翠(宮城県仙台市生まれ)…

2271 言葉は重い 首相秘書官の差別発言をめぐって

(調整池の向こうの駅前ビル横に残月が輝いている) いつそインキと紙がなくなれば ほんとをいつたら言葉がなくなれば 僕にはどんなしづかなことだらう 立原道造の『いつそインキと紙が』という詩の書き出しだ。冒頭の一行を「いつそ(いっそ)記者と新聞が…

2270 雲に乗る春と冬『早春賦』を聴きながら

(リンゴを食べるメジロ) 早朝、散歩をしながらラジオを聴いていると「沖縄や奄美では緋寒桜のピンクの花が満開となり、国内各地から梅も咲き始めたという便りが来ています」と、紹介していた。昨日は節分、今日は立春だ。とはいえ、日本列島の大半はまだ真…

2269『現代を歩く』(23)「不文」の約束事とは 地方に根付く宮本常一の精神

(京都丹後鉄道峰山駅にて)「不文の約束ごとが守られることで民衆の社会は成り立つものである。人が人を信じられるのである」(未来社『私の日本地図7 佐渡』)。生涯、日本各地を歩き回った民俗学者・宮本常一(1907~81)の言葉だ。「不文」の意味は「文字…

2268 喫茶店での四方山話 言葉のプロの因果応報

2月になり、日脚が伸びている。北国の人たちには春はまだ遠いが、房総地域に住む私は季節が確実に春への移行準備を始めていると感じている。そんな朝、いつもの喫茶店に入ると、先輩2人の声が聞こえた。私はコーヒーを飲みながら、持ってきた俳句歳時記を…