私が毎日散歩をしている調整池周辺には、さまざまな植物が生育している。中でも一番旺盛な繁殖力を示しているのは、葛とセイタカアワダチソウの2つといっていいだろう。他の植物を押しのけるように増え続ける姿に好感を持つ人はあまりいないのではないかと思われる。このうち葛はどこにでも生えていて、例えば庭に植えると他の植物が全滅するほどの圧倒的生命力があり、注意が必要だそうだ。
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調整池の一角で今年も葛の花が咲いていると、ラジオ体操仲間に教えられた。葛自体は池の周辺に繁殖しているのだが、梅雨明けに周囲の雑草とともに刈り取られ、再び成長して花が咲くのはまだ先のことになる。ただ、刈り取りをする必要がない場所の斜面に大きな葛が蟻、ここに花が咲いたのだ。この夏は猛烈という言葉を使いたくなるほど暑さが厳しく、散歩の途中に自然の風景を楽しむ余裕はなく、ラジオ体操仲間に言われるまで花の存在に気が付かなかった。
赤紫の穂状の花が数輪。あまり目立たないから、注意をしないと見落としてしまう。私の故郷にも、葛はたくさんあったはずだ。だが、たぶん雑草扱いで、その花を愛でた記憶は全くない。蔓が縦横に延びて地を這い、そこに電柱や木があれば絡みつく姿に敬遠する気持ちが強かった。
葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり 葛を詠った歌と句はかなりある。その中でも釈迢空(しゃくちょうくう・折口信夫)の歌は代表的なものといえる。「この山道に分け入った人がいる。葛の花が踏みしだかれ、赤紫色の花房が目立っている」という歌で、葛の花を踏みしだいて山道を歩く人がいる。どこの山道なのか。それはどんな人なのか。男か、女か、どんな仕事をしているのか、遊びで山に入ったのか、旅をしているのか……。さまざまな想像ができるのではないか。
今日は9月1日。朝のラジオ体操会場から子どもたちの姿が消え、参加人数もかなり減った。最高齢の96歳で頑張っていた女性も事情があってラジオ体操を引退した。9月の始まりは寂しさが伴う。そんな時にはただ、黙って歩くに限るのだが、この暑さゆえ、それもままならない。せめて釈迢空の歌の世界を想像してみようと思う。葛の花を踏みしだきながら山道を歩いている私。木々の間から涼風が吹き、暑さは感じない……。
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