小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2863 「オミナエシの歌」 晩夏絶唱

 8月も今日を含めて残り2日。季節の上では初秋であり、秋の七草に親しむ時期だ。「ハギ・キキョウ・クズ・フジバカマ・オミナエシ・オバナ(ススキ)・ナデシコ」のことだが、このうちフジバカマは私の家の周辺でほとんど見かけない。オミナエシ(女郎花)もそうだ。このブログに前回と前々回に掲載したオミナエシの写真は、近所でようやく見つけて撮影したものだ。自然が残っていると思っていたわが家周辺も、都市化現象により植物で季節の移ろいを感じるのも難しくなってきたようだ。

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 オミナエシを「女郎花」と書く由来は、諸説ある。そのうち、古語の「オミナ(女)」と「エシ(圧)」を組み合わせた「女郎」という説が有力だ。花の美しさが美女を圧する、ということから付いたというのだ。「女郎」は江戸時代には、遊郭で客の相手をする遊女のことを言い、語源は身分の高い貴婦人らを指す「上臈」からきているといわれる。奈良時代や平安時代当時、「女郎花」という名前は特に違和感はなかったのだろう。

 女郎花盛りの色を見るからに露のわきける身こそ知らるれ(意訳=オミナエシの今を盛りと咲いている色を見たばかりに、露が分け隔てして盛りを過ぎた我身が思い知られるのです) 

 紫式部は、こんな歌を詠んでいる。このほか万葉集には「女郎花」だけでなく「娘子部四、姫押、姫部思、娘部志、佳人部為、美人部師」などなどと表記されている。しかし江戸時代になって、遊女のことを「女郎」という言葉を使ったため、以来この花の漢字に違和感を持つ人が多くなったのではないか。中には、そうでもない人もいるだろうが……。(新聞用語辞典、共同通信『記者ハンドブック』には、一般用語、差別語としてもこの言葉は掲載されていない)

 この花に近寄ると、醤油が腐ったような臭いがする。そのためこの花は「敗醤」(はいしょう)とも呼ばれる。「女郎」といい「敗醤」といい、花にとっては迷惑な名前だと思う。耕作をやめ、草花類が生い茂る近所の畑の一角にこの花がある。遠くから見ると、以下の句の風景のように見える。オミナエシは「をみなめし」とも言い、秋を感じさせて味わい深い。

 をみなめし遥かに咲きて黄をつくす 松崎鉄之介

 追記

 女郎花(おみなえし)港の隅に遊女墓 (福山市)長谷川瞳 31日の朝日俳壇に載った句だ。薄幸な生涯を送った遊女たち。墓はだれが作ったのだろうか。

秋田で見かけたフジバカマ

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