小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

2294『現代を歩く』(28)蘇れ!列島の森

(穂が下を向いたクヌギの花) 毎朝の散歩コースに小さな森がある。その近くには大雨などの際、下流の川の水量を調整するための人工池(調整池)が設置されている。人があまり近づかないこともあって、この池には四季折々渡り鳥が優雅な姿を見せる。しかし、…

2293 様々な「桜」体験 朔太郎は花びらに涙

桜の下に人あまたつどひ居ぬ なにをして遊ぶならむ。 われも桜の木の下に立ちてみたれども わが心は冷たくて 花びらの散りおつるにも涙こぼるるのみ。 いとほしや いま春の日のまひるどき あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。 萩原朔太郎の…

2292 木と草と対話の元教師「サヨナラ」だけが人生か

満開の桜が、南からの強い風によって散り始めました。このところ雨の日も多いようです。そして、卒業シーズンですから、まさに唐詩選の「花発(ひらけ)ば風雨多く 人生 別離足(おお)」し」の季節といえるようです。『黒い雨』で知られる作家、井伏鱒二の…

2291 チームプレーの勝利 WBC日本の優勝に思うこと

(日本の優勝を祝うように満開になった遊歩道の桜) 野球のWBC決勝で、日本チームが野球大国米国を3-2で破り、3大会14年ぶり3度目の優勝を飾った。野球(ベースボール)の発祥国といわれる米国(一部英国説もある)では、かつて少年たちは憲法と野球…

2290 エッセイで思う岡倉天心ゆかりの人々 ルーツそれぞれに物語

日本の美術界に大きな足跡を残した一人として挙げることができるのは、東京芸大の前身、東京美術学校の初代校長、岡倉天心(1863~1913)だ。天心は明治時代後期、茨城県北茨城市五浦に活動拠点を移し、現在も旧宅観瀾亭(かんらんてい、大波を見る東屋の意…

2289「祈りのコンサート」が最終回 被災者を癒す音楽家たち

(満開の木瓜の花) 私は社会部の駆け出し記者時代、新宿警察署を拠点とする「4方面クラブ」に所属していました。その当時、8社の記者がいましたが、その一人に音楽をこよなく愛する記者がいました。自身もヴァイオリンをやり、定年後、かつて私も住んだこ…

2288 涙を喪失した少年今も 3.11以後の世界でも

(開花した美しい陽光桜) 自然界のスケールに比べれば人間ははかなく、小さな存在だ。その一人である私は12年前の3.11という大災害に、うろたえたことを忘れることができない。今日も近くの森からウグイスの鳴き声が聞こえ、街路樹のハクモクレンの花が咲…

2287 ミモザの日に黄色い房を見る 岸恵子さんが愛する花

今日8日は「ミモザの日」だという。この時期に、本場であるイタリアでこの花が咲き始めるころというのが、由来だそうだ。同時に、国際女性デーともいわれる。この花の黄色い房を見ると、山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』を思い出す人は多いので…

2286 一体感漂う『フィガロの結婚』 COCの公演を観る

「このオペラが21世紀にたとえ火星の上で、人工太陽の照明のもとに地球植民地歌劇団によって演ぜられても決して古くないと信じる。それはモツアルト(原文のまま)の音楽が古典などを通り越して永遠だからで、その理由はやはり驚異的なオリジナリティをふ…

2285 政治見つめる厳しい目 何を思う現代歌人

(散歩コース・調整池で見た朝焼け) 見た目には大人しそうな首相だが機を見て敏で豹変をする 「短歌や俳句は世相(時代)を映す鏡」ともいわれる。この短歌を見て、それがよく理解できる。この歌を詠んだのは通信社時代の同僚、小島敦さんだ。3月5日の「…

2284 未来には足がある ある医学者の「いのちの詩」

(ヒメリュウキンカの花) 未来は幽霊では意味がない 足があるものだ 未来像だけを教えて 足を教えないと 未来像は幽霊になってしまう 足を教えるのが 大人の義務だ 未来の像だけなら 子供にもできるのだ 現代は 大人が足を教える力を 失ってしまった にほん…