小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2861 ラスト掲載の季語は「吾亦紅」 待ち遠しい秋の到来

オミナエシ(女郎花)の中にひっそりと咲く吾亦紅

 俳句歳時記(角川学芸出版)の季語索引の最後に掲載されているのが「吾亦紅」(われもこう)だ。秋の季語で、山野で見ることができるバラ科の多年草のことだ。「高原の風に吹かれているさまなどは少し淋しげで、その名とともに詩趣を感じさせる」(同)花で、私はこの花を見ると、幼い頃、母たちと一緒に行った彼岸の墓参りを思い出す。近所でこの花がオミナエシ(女郎花)に混じって、ひっそりと咲いているのを見つけた。

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 路岐(わか)れして何れか是(ぜ)なるかわれもこう 夏目漱石 「山道のわかれ目に咲いていた吾亦紅に道をたずねたという意味より前に、吾亦紅の枝分かれのさまそのものを言い指したのだ。多義的なおもしろさ。漱石らしい」とは文芸評論家、杉本秀太郎の解釈(『花ごよみ』講談社学術文庫)だ。この花は9月ごろ、上部で枝分かれして、枝先に暗赤色で花弁のない無数の花をつけるのが特徴だ。

 私が子どもの頃、墓参りに行く道の脇にも、この花がひっそりと咲いていた。これを姉たちが持参したハサミで切り取り、墓に備えたのだ。だから、私は吾亦紅と聞くと、秋の彼岸の墓参りが頭に浮かぶのだ。この季節になると、この花を部屋に飾ることもある。

 吾亦紅母なき部屋の広きかな 井上登美子 母が好きだった吾亦紅。野から摘んできて部屋に飾った。だが母は亡くなり、ポツンと一人でいる部屋の広いことか……。そんな風景が伝わってくる友人の句だ。

 この花は漢字では一般的に「吾亦紅」と書いている。このほか「吾木香」「我毛香」という表記もあるという。『源氏物語』は「吾木香」を使い「匂宮の好む芳香を放つ花」(第四十二帖『匂宮』)として出ている。そのくだりは 「不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香などという香のあるものを霜枯れのころまでもお愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。昔の光源氏はこうしたかたよったことはされなかった」(与謝野晶子訳『全訳源氏物語 下』角川文庫)である。「見ばえのせぬ吾木香」というのが面白い。たしかに、見栄えという点では地味な花だ。それが奥ゆかしくていいという人もいる。

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 地域によっては夏休みが終わったところもある。25日から授業が始まった東京の小学校のニュースをテレビでやっていた。私の住む地域では31日までが夏休みで、9月1日から登校になる。子どもたちが参加していた朝のラジオ体操は今日28日(木)が最終日だった。残り3日、宿題が終わっていない子どもたちは忙しくなる。私たち大人は寂しくなるが、子どもたちの代わりに、吾亦紅を含め色とりどりの秋の花が目を楽しませてくれるだろう。猛暑よさようなら、秋よ早く来い……。

暗赤色で花弁のないオミナエシの花

ムラサキツメクサ

三尺バーベナ(ヤナギハナガサ)

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