小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

ゴッホ の検索結果:

2133 一枚の絵を見ながら 心浮き立つ春よ

………………………… ゴッホの作品の中に「花咲く桃の木:マウフェの思い出」(オランダ・クレラー=ミュラー美術館蔵・下掲)という絵がある。手元の画集によると、1883年3月にフランス・アルルで描かれたこの絵は、ゴッホの従兄でハーグ派(1860年から1890年にかけてオランダ・ハーグで活動した画家たちの呼び名。バルビゾン派の写実主義に大きな影響を受けた)の風景画家アントン・マウフェを追憶して描き、マウフェの未亡人に贈った。ゴッホが弟、テオに送った手紙には「僕は戸外の果樹園で20号の…

2100 朝もやが描き出したモノトーンの世界 自然の変化と付き合う

…ノトーンに近い世界。ゴッホならこの風景をどう描くのだろうかと、ふと思ったりした。 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956)は、外を歩くことが好きだったそうだ。戦後、岩手で山小屋生活をしたくらいだから、外歩きは苦にならなかったようだ。足が速く、一人歩きだと2、3里(約7・8~11・7キロ)歩くのにそう時間がかからない。「自由自在に歩きたいから多くの場合は一人で歩く。風のやうに歩いたり、流れる埃のやうに歩いたり、熊のやうに歩いたり、時には鶴のやうに歩いたりする。或る時はまる…

2089 蘇ったキューピット フェルメール『窓辺で手紙を読む少女』

…われ、レンブラントやゴッホの作品にもX線分析で下絵の存在が明らかになっているものがある。フェルメールのこの作品は、だれがどのような目的でキューピットを隠したかは不明だが、ネットで見る限り、私は壁には何もない方が自然に思えてならない。 フェルメール研究で知られる小林頼子もこの絵について、フェルメールがキューピットを塗りつぶしたという前提で、以下のように触れている。 《手紙を読む女性の絵では、手紙は恋文であることが多い。その図像の慣習に従い、フェルメールも恋の便りを選び、その内容…

2082 コロナ禍続く年の暮れに 笑顔なきゴッホとベートーヴェン

…都美術館で開催中の「ゴッホ展」を見て「負けるものか」という思いになった。芸術は心の拠り所になるのだろうか。 …………………………………………………………… 偉大な2人の芸術家に共通するのは何か。笑い話ふうに言えば、笑顔がないということだろうか。ベートーヴェンもゴッホにも笑顔は似合わないし、2人が笑った顔を想像するのは難しい。ジャズピアニストとして知られる山下洋輔は「要は人間の本性だ。つまり、ベートーヴェンは笑わないのである。ひたすら、あの巨頭を振り立てて、叩き、たたみかけ、押…

2075 フェルメール現象再び? 知られざるレッサー・ユリィ

…。モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌ、クールベといった著名画家のほか、以前のブログに書いたことがある、アル中で知られたヨンキントの作品(「日没の運河、風車、ボート」)もあった。ユリィの絵は「夜のポツダム広場」と「風景」「冬のベルリン」「赤い絨毯」の4点が展示されていた。説明文によると、ユリィはユダヤ系のドイツ人。ミュンヘン分離派を経てベルリン分離派で活動したといわれるが、日本ではこれまで無名に近い画家といわれる。手元の分厚い西洋美術史の本にもWikipediaにも載…

2023 季節の色を描く 緑の『調整池』風景

…同じ6月という季節。ゴッホは黄色を前面に出した絵を描いた。黄色に目覚めたことによって後世に残る作品を残すことができた、と言っても過言ではないだろう。「黄色という色が自分を変えた。南仏の光に出会ってようやく自分は日本の浮世絵師たちのようになれた。あのくっきり感が出るんだ」。ゴッホは手紙の中で、黄色という色彩についてこのように書いている。ゴッホがパリから南仏プロヴァンス地方のアルルに移り住んだのは1888年2月のことだった。そして、作品にも描いた「黄色い家」を借り、黄色い色を絵に…

2019 ブログ移行の試み 2カ月半続いた試行錯誤 

…径を行く』の検索に「ゴッホ」というキーワードを入れてみる。すると10本の記事がヒットする。では『新・小径を行く』ではどうだろう。3倍以上の32本の記事が出てくるではないか。俳句の(正岡)子規は前者が16本、後者は67本。文豪(夏目)漱石は8本と28本だ。正確という点で、後者の方が格段に優れていることが分かる。 15年近くブログを続けていると、その回数も多くなっており、最新の記事は2018回目だった。私の場合、以前どんな内容の記事を書いたかを調べる意味でも検索機能は重要だから、…

1995 88歳の健脚に脱帽 目を見張る思いの池江選手

…テレビで見ていると、つい顔の筋肉が緩んでしまう。今朝の人生の大先輩の早足姿も同様だ。20歳と88歳。年齢は離れていても、見る人に活力を与えてくれる存在だ。ただ、商業化した五輪に、池江選手が振り回されないことを願うばかりである。 関連ブログ↓1501 新しい運動用具との出会い 夏の風物詩・ウォーキング用ポール 1662 笑いに飢えた時には 寿限無を思い出す長い駅名 1649 病床で見たゴッホの原色の風景 友人の骨髄移植体験記 1753 天に通じる肉親の言葉 池江選手の白血病公表

1983 『叫び』に込めた本音 ムンクの不条理の世界今も

…の見方である。 私はゴッホやピカソなら、どんなことを書いただろうかと想像する。「これは私にしか描けない絵だ」という自信、あるいは「一人だけでも理解してもらえればいい」という控えめな書き込みか……。ムンクはムンクなりに本音を書き入れたのだろうと思う。 ムンクは前半生、死と狂気と不安につきまとわれながら傑作を生み出した。45歳の時に精神病院に入院、心身の健康を取り戻して80歳まで生きる。皮肉なことに退院後は見るべき作品を残していない。美術史家の中野京子は、ムンクの絵に関して「病め…

1956 心に響く政治家の訴え 日本の首相は劣勢

画家のゴッホは、弟テオと親友の画家エミール・ベルナールに多くの手紙を書いている。その内容は含蓄がある。例えば、ベルナールに出した手紙(第4信)(岩波文庫)の中で言葉について、こんなふうに書いている。「何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ。線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない」。言葉はそれほど難しいものだが、語り方によって芸術の域にまで達するということを言いたかったのだろうか。 ………………………………

1937 花の終りに ある秋雨の日の風景

…には雨に煙る低い山。ゴッホなら、この風景をどんなふうに描くだろうかと夢想する。目に映る風景(対象)に向かって自分の感情を込めて絵を描いたというゴッホ。レールも山もすべてがうねりながら、渦巻くようなタッチの絵……。レールの右側には彼岸花が群生し、先日まで咲いていた。それなら、真っ赤な彼岸花を強調した作品にしただろうか。 帰り道、途中休憩した公共施設。その植え込みには「シマトネリコ」という木が植えてあった。別名「タイワンシオジ」といわれるモクセイ科の常緑高木・半常緑高木。南方系で…

1924 秋風とともに第2波去るか シューベルトの歌曲を聴きながら

…く描いたのだそうだ。ゴッホを敬愛し、ひまわりの絵も描いた。(ただ、シーレのひまわりは、ゴッホの絵に比し、生命力が感じられない) シーレはヴァリーが死んだ翌年の1918年、華々しい年を迎える。著名な美術館で開催された美術展に出品し、売れっ子の画家となる。しかも、妻のエーディトが妊娠し、その喜びから、自分と妻とまだ生まれぬ子どもの3人を描いた大作の『家族』という作品を制作した。だが、彼の人生はこの年に突然閉じてしまうのだ。この年の初めから流行したにインフルエンザA型(H1N1型)…

1918 夏の風物詩ヒマワリ物語 生きる力と悲しみの光と影

…る。よく知られているゴッホの《ひまわり》の絵もまた、その力強い筆致でコロナ禍におびえる私たちにエールを送ってくれていると思いたい。 ……………………………………………………………………… この花は、北米原産のキク科の一年草で、日本には約300年前(江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代)に入ってきたといわれる。詳しい花の説明は不要だろうが、ギリシャ神話では太陽神のアポロに恋焦がれて死んだ水の精クリュティエが変身し、いつも太陽の方角に顔を向けているとされている。しかし実際に太陽の方向…

1903「星月夜」に一人歩いた少年時代 想像の旅フランス・長野・茨城・富山へ

ゴッホが、代表作といわれる『星月夜』(外国語表記=英語・The starry night、フランス語・ La nuit étoilée、オランダ語:・De sterrennacht=いずれも邦訳は星の夜)を描いたのは1889年6月、南フランスのサン・レミ・ド地方プロヴァンスにある修道院精神病棟だった。 ……………………………………………………………… 日本では星月夜は「月は出ておらず、星の光で月夜のように明るく見える夜」のことを言い、秋の季語になっている。しかし、ゴッホの絵は…

1887 蘇るか普通の日常 絵と詩に託す希望の光

…山さんの書き方は謙遜だと思う。芸術や文化は、人間の弱った心を癒し、生きる希望や力を与えてくれるのだ。Nさんの絵を見、『薇』の同人たちの詩を読んで、沈みがちだった私の気持ちが晴れてきたことを記しておきたい。 写真 1、体操仲間の絵 2、モデルの花壇を中心にした体操広場 3、人影が消えた散歩コースの公園 関連ブログ↓ 1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う 1805 幻想の城蘇る 生き残ったノイシュバンシュタイン 1868 コロッセウムは何を語るのか 人影なき世界遺産

1868 コロッセウムは何を語るのか 人影なき世界遺産

…一日にして成らず」(何事も多大の努力をしなければ成し遂げられない=広辞苑)である。この災厄が世界から一日も早く去ることを願わずにはいられない。 (4日現在、イタリアの新型コロナウイルス感染による死者は1万5362人で世界最多を更新。感染者は12万4632人=ローマ共同) 写真 知人の水彩画 関連ブログ↓ 1805 幻想の城蘇る 生き残ったノイシュバンシュタイン 1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う 1455 「ミモザの日」支える300人の公国 グリーグの贈る言葉

1867 ライラックがもう開花 地球温暖化ここにも

…花の絵を好んで描いたゴッホの《ライラックの茂み》という作品を思い浮かべ、インターネットで検索して絵を見てみた。自然のエネルギーを感じさせるゴッホ特有の劇的な表現が目に付き、絵から花の香りが漂ってくるような錯覚さえ抱いた。フランスのアルルに住んだゴッホは、同居したゴーギャンとの芸術感の違いから自分の左耳の下部を切り取るという事件を起こし、1889年5月サン=レミの精神療養院に収容された。療養院の室内から庭を見ながら、《アイリス》などとともにこの絵を描いたという。(現在はロシア・…

1837 ゴッホは何を見て、何を描きたかったのか 映画『永遠の門』を見る

…ィンセント・ファン・ゴッホだろう。では、ゴッホはどんなふうに描こうとする風景を見ていたのだろう。それを映画化したのが『永遠の門 ゴッホの見た未来』(監督は画家でもあるジュリアン・シュナーベル、ゴッホの自画像によく似た俳優ウィレム・デフォーが主役)である。ゴッホの精神世界を映像化したといえる映画は、美しい自然の風景を映し出している。それを手ぶれや上下でずれさせるなど揺れるゴッホの視点を思わせる映像にしたのが特徴で、万人受けする作品ではない。 …………………………………………………

1814 北海道に生きた農民画家 神田日勝作品集から

…テを使った具象画で、ゴッホ的ともいわれる。農業に従事していたから身近な農耕馬、牛などを題材にした作品も少なくない。地元の信用金庫と10年間のカレンダーの原画制作を契約したこともあるが、体が弱かった神田さんは1970年8月25日腎盂炎による敗血症で亡くなった。30歳を過ぎたばかりの制作意欲旺盛な時期であり、無念の死だったに違いない。 私が鹿追町を訪れたのは秋色が深まる2006年10月だった。この町と上士幌町にまたがる然別湖(しかりべつこ)は、オショロコマ(イワナの一種)が生息す…

1805 幻想の城蘇る 生き残ったノイシュバンシュタイン城

…城も人にそんな思いをさせる幻想の城なのだ。 注・追記=2025年7月12日にユネスコの世界遺産委員会によって、この城はリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城、シャッヘン山荘と共に世界文化遺産に登録された。 1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う 1648 ものの見方について ロマンティック街道の城は空中の楼閣か 176 世界遺産第1号「姫路城」 司馬遼太郎の世界を思う 1208 いまも色あせない芸術作品 モネとマーク・トゥインに触れる 写真は体操仲間の絵とパンフより

1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う

…見せてもらいながら、ゴッホもマロニエの花を描いたことを思い出した。 ……………………………………………………………… ゴッホは、「花咲く……」という題の絵を何枚か残している。「花咲くアーモンドの枝」「花咲く梨の木」「花咲く桃の木」「花咲くアンズの木々」「花咲く薔薇の茂み」そして「花咲くマロニエの枝」だ。マロニエの絵は、ゴッホが亡くなったフランス・パリ近郊の村、オーヴェル=シュル=オワーズで過ごした最晩年に描いたものだ。ほんのりと赤みを帯びた白い花と緑の葉、背景にゴッホの特徴で…

1731 暮れ行く初冬の公園にて ゴッホの「糸杉」を想う

…27日夕、長居公園。ゴッホの絵を想起」とあった。それはゴッホが好んで描いた「糸杉」の絵と印象が似ている。暮れ行く初冬の公園の姿は、たしかにゴッホの世界を彷彿とさせるのだ。(友人の写真=フェイスブックより) にほんブログ村 ==== 手元にあるゴッホ関係の書籍を見ると、ゴッホは風景画を描く際、糸杉、麦畑、オリーブの木、小麦、ヒマワリを重要なモチーフにした。このうち「糸杉」の題で知られるのは1889年6月、南フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンス(サン=レミ)にあるカトリック精神…

1690 台風一過の午後のひととき プレーヤーに入れたCDはあの曲

…は、麦畑を多く描いたゴッホから取ったのだそうだ。「麦畑のように、誰にとってもありふれた見慣れたものを子細に観察して描くことの大切さを、事あるごとに、弟テオに宛てた手紙に書いており、実際多くの麦畑の絵を残している」ゴッホの精神に佐伯は表現の基本を教えられた。こうして佐伯はデンマークに行った際、自分のルーツを見る思いで首都コペンハーゲンからタクシーに乗って麦畑を見に行ったのだという その時、タクシーの車内には小さなボリュームでハイドンの弦楽四重奏曲が流れていた。「窓を開ければ香り…

1664 品格ある麦秋風景だ 日暮れを忘れるころ

…は「麦秋や美瑛の丘にゴッホ来る」という句を提出した。この句について、主宰者は「大胆な惜辞(そじ・詩歌や文章などの言葉の使い方や句の配置の仕方)が買われた(評価された)とみます」と評した。私は麦秋といえば、この句のようにゴッホの絵と北海道美瑛の風景を頭に浮かべる。 麦畑をテーマにしたゴッホの絵はよく知られている。「カラスのいる麦畑」「嵐の空の下の麦畑」「黄色い麦畑と糸杉」「緑の麦畑と糸杉」そして「ラ・クローの収穫」などだ。このうち「ラ・クローの収穫」は郷愁を感じさせる作品で、私…

1649 病床で見たゴッホの原色の風景  友人の骨髄移植体験記

…景、そして私の宝物 ゴッホの絵のような幻覚を見た。めくるめく原色の世界。モルヒネの離脱症状ではないだろうか(臨床報告がないと医師は否定するが)。色のない完全無菌室において、有り難いくらいの芸術であった。 夫は毎日、仕事帰りに見舞いに来た。滅菌のため一枚一枚、アイロンがけしたタオルや着替えを持ってくる。約1年に及ぶ入院期間のうち夫が来られなかったのは、サードオピニオンのため日帰りで九州へ行った時と、自身の体調不良で無菌室に入室できなかった時の2回である。ひどい寝不足と疲れのため…

1611「痛」の1年について 心の渇き癒す読書

…舞台に、日本人画商とゴッホ兄弟との交流を描いたフィクション。ゴッホの「星月夜」はどのようにして誕生したのだろう。 6、 島尾敏雄『島の果て』(集英社文庫)=太平洋戦争当時、特攻隊の指揮官として奄美群島・加計呂麻島(鹿児島県大島郡瀬戸内町)に配属になった島尾の体験を基にした短編集。 7、遠藤周作の一連の作品。『王国への道』「王妃マリー・アントワネット』「イエスの生涯』『真昼の悪魔』『侍』『白い人・黄色い人』『沈黙』『悲しみの歌』『海と毒薬』『深い河』=ほぼ入院中に読んだ。多くが…

1600 世界的画家の心情 ピカソとゴッホを描いた原田マハ

…ィンセント・ファン・ゴッホの名をあげるはずだ。2人の天才画家をモチーフにした原田マハの『暗幕のゲルニカ』(新潮社)と『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)を読んだ。原田は既にアンリ・ルソーをテーマにした『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)を出しており、「アート小説」という分野で新しい境地を開いたといえるようだ. ………………………………… 以前のブログで書いたように、作家の沢木耕太郎は、ピカソのゲルニカについて「世界中の巨大な錯覚の集合体のような気がしてならない。壁一面に掲げられたその…

1328 人間賛歌・種をまく人 ミレー展にて

…ィンセント・ファン・ゴッホが同じ題名の作品を描いた(1880年)ことはよく知られている。東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「ボストン美術館・ミレー展」で見た「種をまく人」は、岩波書店のシンボルマークなどで見慣れているせいか、懐かしさを覚える作品だった。 …………………………………… 一方、ミレーに影響を受けながら、ミレーの絵に対し「残念ながら色彩がない」と語り、同じ画題でまばゆいばかりの色彩表現の絵を描いたゴッホ。2つの絵にはそれぞれの個性が表現されているといえよう。 …

1311 「戦争」を憎むシャガールの絵 チューリヒ美術館展にて

…はピカソ、セザンヌ、ゴッホ、ルソー、ミロ、ゴーギャン、モネなど著名な画家たちの作品も展示されている。その中で私はシャガールの『戦争』以外に、エドヴァルド・ムンクの『冬の夜』(1900年作)が気になった。 暗いフィヨルドを背景に、木々たちが黒い姿をさらし、不安と死への恐怖を抱くムンクの心模様が出ており、有名な『叫び』(今回の展示はなし)を連想させ、現代人の心をとらえるのではないかと思った。 愛読ありがとうございます。 読み終え気に入りましたらたら、下のバナーをクリックしてくださ…

1123 遠くから見つめる富士 凛とした姿描いた友人の絵

…高く、オランダの画家ゴッホやフランスの作曲家ドビッシー(交響詩・海を作曲)の創作活動に大きな影響を与えたという。 自然界の中で人間の営みがはかないものであるかは、3・11の大震災でも実証された。残念なことに多くの人命を失い、原発事故は悲劇を増幅させてしまった。 このブログを書いている私の机の前に「奇跡の一本松」の写真が飾ってある。一面のクローバー(シロツメクサ)の後ろに、復元された一本松のモニュメントが立っている。クローバーに覆われた部分は3・11当時、激しい津波に襲われた。…