小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2089 蘇ったキューピット フェルメール『窓辺で手紙を読む少女』

        

 フェルメール(1632~75)の『窓辺で手紙を読む少女』(あるいは『窓辺で手紙を読む女』)の絵を見たのは2008年9月のことだった。ドイツ・ドレスデン古典巨匠絵画館(アルテ・マイスター)のオランダ絵画の部屋。小さなこの絵(83センチ×64・5センチ)はあまり目立たず、絵の前に人影はまばらだった。少女の横の壁には何もない。しかし、この絵には隠された秘密があった。それを復元し、この絵は東京都美術館で展示されるという。

 この絵はフェルメールの名作の一つとされ、ラファエロの『システィーナの聖母』、リオタールの『チョコレートの少女』などとともにアルテ・マイスターに収蔵されている作品(約780点)の中でも、特に人気が高いという。チェコの改革運動の悲劇をテーマにした春江一也の『プラハの春集英社)』の続編『ベルリンの秋』(同)にも、主人公の在プラハ日本大使館書記官がアルテ・マイスターを訪れ、『システィーナの聖母』と『窓辺で手紙を読む少女』を見る場面が描かれている。

《その絵は無造作に壁に掛けてあった。思ったより小さい絵だった。開け放たれた窓辺で、硬い表情の女が手紙を読んでいる。そばのテーブルには、あわただしく置いたのか、果物を盛った皿が傾いてリンゴがこぼれている。どんな手紙だったのだろう。恋人からの別れの手紙なのか。それとも肉親から届いた哀しい知らせだったのか。》

 実は、女性の横の壁にはキューピットが描かれていることが1979年のX線分析で発見されていた。これについて研究者は、フェルメール自身が塗りつぶし、背景に余白を作り出したのではないかと考えていたという。私が当時アルテ・マイスターで購入した図録集にも「もともと少女の頭上の白い壁のところにはキューピットが描かれていた。それによって、この手紙の内容はラブレターであるということがわかったのだが、フェルメールは後でキューピットを塗りつぶしてしまった」と書いてあった。

 しかし、改めて2017年に同館の絵画修復家がニスや汚れの層を分析した結果、フェルメールの死後、18世紀に何者かによって上塗りされたと判明したという。春江のは小説は1969年に絵画館を訪れた設定なので、こうした表現になったのだろう。

 消されたキューピットは、その後同館の4年にわたる修復作業で2021年8月に矢を持ったキューピッドの立像が復元され、同年9月から公開になったそうだ。ことし東京都美術館で開かれる『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』で展示される予定(開催時期はコロナ禍の影響で1月22日が延期となり、いまのところ未定)で、フェルメール人気が再燃するのではないか。チケット購入は困難かもしれない。コロナ禍の推移を見ながら、チケットが購入できれば、キューピット入りの作品を見てみたいと思う。

 よく知られた絵の下には別の絵が隠されている可能性があるといわれ、レンブラントゴッホの作品にもX線分析で下絵の存在が明らかになっているものがある。フェルメールのこの作品は、だれがどのような目的でキューピットを隠したかは不明だが、ネットで見る限り、私は壁には何もない方が自然に思えてならない。

 フェルメール研究で知られる小林頼子もこの絵について、フェルメールがキューピットを塗りつぶしたという前提で、以下のように触れている。

《手紙を読む女性の絵では、手紙は恋文であることが多い。その図像の慣習に従い、フェルメールも恋の便りを選び、その内容を伝えるため、当初は背後にキューピットの絵を描き入れたのであろう。当時、画中画を主要モティーフの意味を補うために使うのは、ごく普通のことであった。ところが、フェルメールはこの画中画を塗りつぶし、壁をただただ光を反射する場に変えてしまった。明るい壁には、その前に置かれたモティーフをくっきりと浮き立たせる効果がある。手紙の内容は曖昧になったが、女性が何ものにも心乱されず手紙に没頭する様は一段と鮮明になった。(『フェルメール』角川文庫)

 この絵は第二次大戦中、戦禍を避けるために他の美術品とともにザクセン・スイス の坑道に保管されていた。しかし戦後、ラファエロの『システィーナの聖母』やジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』とともにソ連軍が接収、10年後に返還された経緯がある。そのままソ連に残っていれば、キューピットは復活しなかったかもしれない。ナチスドイツも、ソ連と同様、第二次大戦当時、大量の美術品をフランスなどから略奪しており、連合国が特別作戦で取り戻したことはよく知られている。

 ※皆様へ 2022年もよろしくお付き合いください。

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写真1、調整池の初日の出 2、西の空がピンクに輝いた朝 3、フェルメールの『窓辺で手紙を読む少女』 左は壁にキューピットがない絵(アルテ・マイスター発行図録から)、右はキューピットが復元された絵(美術手帖から)=写真は見比べると色合い、両隅のずれなどがあります。ご了承ください。