小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1924 秋風とともに第2波去るか シューベルトの歌曲を聴きながら

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 新型コロナの感染拡大が止まらない。9月1日午後1時(日本時間)現在、世界の感染者は2540万5845人、死者は84万9389人(米・ジョンズ・ホプキンズ大まとめ)に達している。悔しいことだが、死者が100万人を超える日はそう遠くはないはずだ。コロナ禍の中で生活をしていると、人類の健康で文化的生活には災害や飢餓、戦争に加え、伝染病(感染症)が大きく立ちはだかっていることを強く感じるのは、私だけではないだろう。フランツ・シューベルト(1797~1828)の歌曲『死と乙女』(1817年作曲)の詩(マティアス・クラウディウス作)のように、死神がいるとしたら、新型コロナというウィルスを使って乙女に限らず多くの人々を死へとおびき寄せようとしているといっていい。

  同名の絵で知られるオーストリアの画家、エゴン・シーレ(1890~1918)もまた、若くして伝染病(スペイン風邪)に倒れた一人だった。シーレは伝統芸術に反旗を翻したウィーン分離派の創設者で、『接吻』という作品で知られるグスタフ・クリムト(1862~1918)の弟子だ。2人の作風は異なり、陽と陰といわれる。色彩が華やかで幸福感が前面に出ているクリムトに対し、シーレは人間の負の面を象徴するような暗い絵を描き続けた。共通するのは女性関係が奔放だったことだ。シーレは未成年少女への誘惑や淫行の疑いで逮捕されて有罪になったこともある。モデルのヴァリーを愛人として4年間も一緒に暮らしながら中産階級の姉妹と知り合い、妹(エーディト)と結婚、ヴァリーとも愛人関係を続けようとする。しかしヴァリーはシーレに別れを告げ、第一次世界大戦従軍看護婦になり、1917年、猩紅熱で死んでしまう。

  シーレの絵は強烈な個性と生々しいエロティシズム、極端にねじれた身体描写などが特徴で、初期表現主義の画家ともいわれる。『死と乙女』は、大地の上で抱き合う男と女を描いており、鮮やかな色の薄物をまとう女に対して、修道僧の服を身に着けた死神の顔は醜い。シーレの自画像といわれるが、写真に残っている彼自身はハンサムだ。露悪趣味だったシーレは、自画像をこのようにわざと醜く描いたのだそうだ。ゴッホを敬愛し、ひまわりの絵も描いた。(ただ、シーレのひまわりは、ゴッホの絵に比し、生命力が感じられない)

  シーレはヴァリーが死んだ翌年の1918年、華々しい年を迎える。著名な美術館で開催された美術展に出品し、売れっ子の画家となる。しかも、妻のエーディトが妊娠し、その喜びから、自分と妻とまだ生まれぬ子どもの3人を描いた大作の『家族』という作品を制作した。だが、彼の人生はこの年に突然閉じてしまうのだ。この年の初めから流行したにインフルエンザA型(H1N1型)がヨーロッパに伝わり、さらに世界に拡大して猛威を振るった。「スペイン風邪」である。推定で5億人が感染、死者4000万人~1億人(日本の死者は40万人前後といわれる)という悪夢のような歴史になった伝染病でシーレの妻は10月28日に亡くなり、シーレ自身も3日後の10月31日にこの世を去ってしまったのである。28歳の若さだった。

 「世間に名を知られると同時の夭折は、確かに痛ましいものといえるよう。それにしてもわずか1年。その1年の間にみんな死んでしまった。ヴァリーもエーディトも、シーレもシーレの子も……」(中野京子『怖い絵 死と乙女篇』角川文庫)。これに付け加えれば、シーレの師であるクリムトは10カ月前の同年2月にウィーンで脳梗塞と肺炎(スペイン風邪とみられる)で亡くなっている。死神はシーレを取り巻く人たちに一挙に襲い掛かったのだ。

  シューベルトは歌曲とともに、弦楽四重奏曲第14番(1824年作曲)も、第2楽章に歌曲を引用しているため『死と乙女』と呼ばれている。マティアス・クラウディウスの詩を私流に意訳しながら、この歌を聴いた。

 乙女

 あっちへ行って!行ってしまえ!恐ろしい死神よ

 私はまだ若いの 行ってください

 どうか私にさわらないで

 

 死神

 さあ手をお出し、美しく可憐な乙女よ

 私はお前の友だ 罰するために来たのではない

 心穏やかに怖がらず

 私の腕の中で静かに眠りなさい

  今日から9月である。昨日までの猛暑とは一転して気温もかなり低く、季節が秋へと移行していることに気づく。秋風とともに、コロナ禍の第2波が去ることを願うばかりである。

 

 

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 写真1、ランタナの花(七変化と呼ばれる)

   2、シーレの『死と乙女』(中野京子『怖い絵 死と乙女篇』角川文庫より)