いつそインキと紙がなくなれば
ほんとをいつたら言葉がなくなれば
僕にはどんなしづかなことだらう
立原道造の『いつそインキと紙が』という詩の書き出しだ。冒頭の一行を「いつそ(いっそ)記者と新聞がなくなれば」と入れ替えると、首相秘書官を解任された荒井勝喜という経産省の官僚が考えそうなことではないか。早朝の散歩。西の空に大きな月が輝いているのが見えた。ラジオは首相秘書官更迭のニュースをやっていた。自然は美しい。しかし、人間は相変わらず進歩がないと思う。
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言葉は重要な意思の伝達手段だ。その言葉には、使う人の品性が表れる。首相秘書官の言葉は人間性の下劣さを示している。道造の詩は続く。
それはすこしは困るかしら
いやいやそんなことはないにちがひない
身振りと手振りと顔つきとで
それから眼もあることだから
どうにかかうにか用だけは足して行く
道造の詩はまだ続くのだが、私は言葉と格闘する詩人の姿を思い浮かべる。それに比べ、首相秘書官の言葉の軽さはどうだろう。秘書官は、衆院予算委員会での性的少数者(LGBT)や同性婚に関する法制化に関し「全ての国民の家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と否定的な考えを示した岸田首相の発言を受けて、記者団に考え方を問われ、オフレコで答えた。その中で「隣に住むのも嫌。見るのも嫌。秘書官室もみんな反対する。同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」という趣旨の発言をしたそうだ。
オフレコ(off the record)とは、記録(メモを取らず録音・録画もしない)をしない、報道しないことを条件に記者に話すことで、政治家などとの懇談ではしばしばこの手法が使われる。報道機関は発言者を特定せずに、記事で引用することもある。しかし、それをいいことに、問題発言をする政治家、官僚も少なくない。今回はこの発言を差別発言ととらえた社が荒井氏に通告した上で実名報道した結果、荒井氏はオンレコ=公式会見に応じて釈明と発言の撤回をしたという。
新聞協会は1996年2月、「オフレコ問題に関する協会編集委員会の見解」を出している。要約すると、次のようになる。
《オフレコ取材は「取材源と取材記者側が相互に確認、納得したうえで外部に漏らさないことなど、約束を破ってならない道義的責任がある。報道機関の役割は国民・読者の知る権利にこたえることで、オフレコ取材はその重要な手段だが、乱用されてはならない。ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべきだ》
今回、何社かはオフレコを破っても報道すべきだと判断したそうだ。結果的にオンレコ会見になり、朝刊では各紙報道した。首相秘書官へのオフレコ取材は、平日はほぼ定例化しているというから、荒井氏は「仲間意識」で本音を話してしまったのだろう。
オフレコ発言の報道で記憶に残っているのは、2011年11月28日、米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐっての当時の田中聡沖縄防衛局長の発言だ。沖縄各社記者とのオフレコの懇談会で田中氏は、当時焦点になっていた米国への辺野古埋め立て環境影響評価書の提出時期について聞かれ、「犯す前に犯すといいますか」と、強姦事件にたとえて時期は明言しないと説明した。これを琉球新報が29日付朝刊で報道、大問題になり田中氏は更迭された。この経緯についてはメディア展望2023年2月号で、河原仁志新聞通信調査会事務局長(元共同通信記者)が詳しく書いている(こちら→)。この記事を読んで思う。田中氏と荒井氏に共通するのは傲慢で言葉の重さに気が付かない鈍感さ、想像力の欠如だと。
ジャーナリズムの在り方を研究した、元共同通信論説副委員長・元上智大教授の藤田博司氏(1937~2014)は、オフレコの懇談取材について「取材される側の意図に沿ってニュースを伝える装置になってしまっているのではないか。懇談の場は結局のところ、情報を持つものが自分に都合のいい条件のもとで情報を提供する場にほかならない。情報源側による情報操作の行われる危険を警戒しなければなるまい」(『ジャーナリズムよ』新聞通信調査会)と、警鐘を鳴らしている。
今回は問題意識の強い記者によってオフレコ発言が報道されたが、表面化するのは氷山の一角なのかもしれない。