小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1781「政治とは距離を置く」 仏地方紙の気骨を羨む

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 フランスのマクロン大統領が複数の地方紙のインタビューに応じた際、大統領府が記事を掲載する前に見せるよう求めていたことが明らかになった。記事の事前検閲といえる。反発した一部の地方紙はインタビューに加わらなかったという。「政治とは距離を置く」というのが理由だ。当然のことだ。昨今、日本の報道機関にはこうした報道機関の基本姿勢を忘れた幹部が存在することに歯がゆい思いがする。  

 新聞社や通信社の記者は、取材して書いた記事は事前に取材対象に見せることはしないのが原則だ。識者への談話取材などでその内容を説明することはあるが、記事そのものを相手に見せることはない。事前検閲に応じていたら、権力を批判する自由な記事は書けない。マクロン大統領のインタビュー記事を見せることを断った新聞社がある一方で、応じた新聞社もあったという。それらの新聞は「政治とは距離を置く」という原則を忘れたのか、初めからなかったのだろう。  

 このブログで何回か、日本の首相動静の記事について書いたことがある。首相番の政治部若手記者が首相の一日の動きを追い、時間ごとに場所、会った相手と目的(会議や会合など)を掲載している。この動静でこのところ目に付くのが、マスコミ関係者との会食・懇談だ。  

 連休明け後、その会食・懇談は顕著だ。ちなみに新聞報道によると▼8日(東京・丸の内のパレスホテル4階宴会場「桔梗」)▼9日(東京・千代田区の帝国ホテル内の「中国料理 北京」)▼15日(東京・港区の寿司店「すし処魚しん」)▼21日(東京・赤坂の日本料理店「古母里」)――と数多い。いずれも出席者は全国紙及び通信社、放送局の幹部たちだ。参院選が近づいている中でこの人たちはどんな考えで首相と酒席を共にし、何を語り合っているのだろうと思う。会合に出席した幹部たちの社には、編集綱領があるはずだ。だが、どう見てもこれらの人々は、「圧迫に屈せず、言論の自由を守る」という基本姿勢を忘れてしまっているようだ。これらの報道機関の記事や番組に、誰かに媚びたり、忖度したりするものがないことを願うばかりである。  

 5月といえば、犬養毅首相が急進派の軍人による銃弾によって殺害された87年前の1932(昭和7)年5月15日の「5・15事件」が頭に浮かぶ。この事件について、全国の新聞が沈黙する中で、福岡日日新聞(西日本新聞の前身)編集局長の菊竹淳(筆名・六皷)は、軍部批判の論説を何度も執筆して掲載した。

 また長野県の信濃毎日新聞主筆の桐生政次(筆名・悠々)も編集局長の三沢背山とともに辛辣な軍部批判のコラム(背山執筆)を掲げ、翌33(昭和8)年の関東地区での防空演習の際は「関東防空大演習を嗤う」と題し「かかる架空的な演習を行っても、実際にはさほど役に立たないだらうことは想像するものである」と、防空作戦批判の評論を掲載した。軍国主義の時代、このような論陣を張ることは大きな勇気が必要だった。それだけに、軍部批判の論陣を張った気骨ある先人に私は惹かれる。それに比べ……。

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