詩
コロナウイルスが猛威を振るい出している中、ある会合に参加した。夕方から夜に続いた会合が終わり、自宅最寄りのJRの駅に着き、とぼとぼと歩き出した。しばらくしてやや疲れを感じ立ち止まった。ふと雲がない空を見上げると、星々がきらめいていた。今、日…
朝、調整池の周囲にある遊歩道を散歩していたら、多くのツバメが飛び回っていた。そういえば、七十二候の四十五候「玄鳥去(つばめさる)」は間もなく(18日)だ。ツバメは南へと帰る日のために、ことし生まれた子ツバメを訓練しているのだろうか。残暑が続く…
「記者は足で稼ぐ」あるいは「足で書け」といわれます。現場に行き、当事者に話を聞き、自分の目で見たことを記事にするという、報道機関の基本です。高橋郁男さんが詩誌「コールサック」に『風信』という小詩集を連載していることは、以前このブログでも紹…
室生犀星の詩集『抒情小曲集』のなかの「小景異情」の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(その2より)はよく知られている。同じ詩集の「合掌」にも実は心に染みるものがある。福島の里山を訪ねて、その思いを深くした。 みやこに…
チャップリンによる「黄金狂時代」(1925)「殺人狂時代」(1947)という2本の名画がありますね。この2本の映画の題名を彷彿とさせる言葉に出会いました。「接続狂の時代」です。詩人の高橋郁男さんが詩誌に連載している、小詩集で書いていました…
埼玉在住の詩人たちの同人詩誌『薇』の19号が届いたのを機会にこの詩誌のバックナンバーを取り出し、頁をめくってみた。創刊号に印象深い詩が掲載されていたことを思い出したからだ。この詩誌は2009年12月に創刊、年2回発行されている。今号は創刊…
近所の公園ベンチで読書をした。秋の日差しが優しく、ぽかぽかと暖かい。時々、近くの林からヒヨドリのさえずりが聞こえてくる。歩いている人はほとんどなく、さらに眠くもならないから、頁はどんどん進む。なかなかいい環境だ。これまで多くの読書時間は、…
今夏も近所の調整池を周る遊歩道に、月見草の花が咲いた。早朝の散歩で黄色い、可憐な印象の花を見た。この花の正式名称はアカバナ科のマツヨイグサで、南米チリ原産の帰化植物だそうだ。江戸時代に渡来し、野生化したものだが、太宰治の『富嶽百景』という…
最近の世相を見ていると、スペインの詩人、ルイス・デ・ゴンゴラ(1561~1627)の詩を思い浮かべる。それは「人よ嗤え(わらえ) 我は我」で始まる短い詩だ。束の間、この詩を読み、浮世を忘れる。それほどに、いやなニュースが新聞紙面に載っている…
近所の公園でキンランの花が咲いているのを見た。かつてはそう珍しくない山野草だったという。90年代ごろから減少し、地域によっては絶滅危惧種にも指定されているが、最近は少しずつ復活しているようだ。 キンランはラン科の多年草だ。久保田修著『散歩で出…
子どものころから雪景色は見慣れているはずだった。だが、久しぶりにかなりの雪が降り、一面が白銀の世界になると、やはり家から外に出てしまうのだ。それは放浪の俳人、種田山頭火の「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」の心境といっていい。朝、家族に…
このところ、私が住む関東南部は涼しい日が続いている。9月の初旬といえば、「残暑」という言葉通り、例年はまだエアコンに頼っているのだが、ことしはそうではない。秋の気配が例年より早く漂い始めているのである。そんな時、一つの詩を読んだ。その詩は…
5日に亡くなった詩人の大岡信(まこと)は1980年代、パリに住んだことがある。当時、フランスでは大統領選があったが、それを見た大岡は「フランス人の大半は各人各様の正当な理由によって不満足だろう。もっと他にましな選択があるのではないかと思い…
朝、散歩をしていたら、調整池の森からウグイスの鳴き声が聞こえてきた。自然界は確実に春へと歩みを続けている。だが、3月は心が弾まない。それは私だけではないだろう。言うまでもなく、6年前の東日本大震災がその原因である。 「三月は鼻に微風を送る山…
現代社会は便利さを追求するのが当たり前になっている。しかし、それによって、人間は楽になるかといえば、そうでもない。コンピューターは世の中の進歩に役立った。パソコンの導入によって企業の事務処理能力が格段に楽になったはずだが、仕事量は相変わら…
《「キューバ危機」の時、ディランは、ソ連からの攻撃を想定した小学生の頃の訓練を思い出していたのかもしれない。》 今年のノーベル文学賞に米国のシンガーソングライター、ボブ・ディランが選ばれた。冒頭の文章は、高橋郁男著『詩のオデュッセイア』(コ…
今回の旅で最初に行ったのは、旅順だった。正確には大連市旅順口区という。日露戦争の舞台でもあり、その後多くの日本人が住んだ。八木さんも生まれたこの街は近年まで対外開放されることなく、神秘の地ともいわれたそうだ。 「官民の手によって、今日まで丁…
きょうは「糸瓜忌」(へちまき)だった。俳人正岡子規がこの世を去ったのは114年前の1902年(明治35)9月19日のことである。絶筆の3句で糸瓜を詠んでいることから、いつしかこのように呼ばれるようになったのだという。このところ急に涼しくな…
梅雨の晴れ間が広がった先日の朝、近くの雑木林からホトトギスの鳴き声が響いてきた。私にはなぜか子どものころから、この鳴き声が「トッキョキョカキョク」(早口言葉で使われる「東京特許許可局」のうち、「東京」を除く)と言っているように聞こえる。初…
梅雨は憂鬱(ゆううつ)な季節だ。じめじめしていて気持ちもカラッとしない。うっとうしいニュースも少なくない。朝、散歩をしていると、道の真ん中にカタツムリが2匹いた。道を横切ろうとしているようだ。カタツムリも懸命に生きようとしているのだろう。 …
埼玉県在住の9人の詩人による『薇』という詩誌14号に「最後の一族」という秋山公哉さんの詩が載っている。ヒト属の一種といわれるネアンデルタール人のことを描いた詩である。偶然だが、イギリスの人類学者アリス・ロバーツの『人類20万年 遥かな旅路』…
芽を吹きて欅(けやき)は空に濃くなりぬわが「市の樹(まちのき)」と思ひつつ行く 私の2階の部屋の窓から、街路樹のけやきが見える。緑の葉が遊歩道を覆っている。冒頭の短歌は、若い時分にお世話になった秋田市の大先輩が「わが定数歌」として詠んだうち…
いまごろは七十二候でいえば「末候」=竹笋生ず(たけのこしょうず)に当たる。「たけのこが、ひょっこり出てくるころ」という意味だそうだ。だが、温暖化からか、たけのこの旬は過ぎている。この季節、あちこちで咲いているバラの香りがかぐわしい。 最相葉…
何気なく本棚から『立原道造詩集』(ハルキ文庫)を取り出し、パラパラと頁をめくっていると、「或る晴れた日に」という詩があった。外は雨がぱらついている。寒い冬に逆戻りしたような天気だ。 きょうは3月11日。5年前の大災害を思い出しながら、詩を読…
二月はやはだかの木々に日をそそぐ(長谷川素逝) きょうから2月である。寒い地域では、霜柱と氷柱が珍しくない季節だ。だが、4日は立春だから、日の出も次第に早くなり、光の季節である春の足音が近づいている。長谷川素逝の句(早いものでもう2月だ。葉…
「二月はやはだかの木々に日をそそぐ」(長谷川素逝) きょうから2月である。寒い地域では、霜柱と氷柱が珍しくない季節だ。だが、4日は立春だから、日の出も次第に早くなり、光の季節である春の足音が近づいている。長谷川素逝の句(早いものでもう2月だ…
季節外れだが、先日、千葉県佐倉市のDIC川村美術館の広大な敷地内で桜が咲いているのを見た。狂い咲きではなく、「十月桜」か「冬桜」という種類らしい。桜の代表といえば、もちろん染井吉野とだれもが思い浮かべるだろう。だが、かつては「染井吉野は最…
季節外れだが、先日、千葉県佐倉市のDIC川村美術館の広大な敷地内で桜が咲いているのを見た。狂い咲きではなく、「十月桜」か「冬桜」という種類らしい。桜の代表といえば、もちろん染井吉野とだれもが思い浮かべるだろう。だが、かつては「染井吉野は最…
詩人・コラムニストの高橋郁男さんが詩誌「コールサック」(コールサック社、年4回発行)で連載していた詩論『詩のオデュッセイア―』が、近刊の84号(2015年12月)で最終回(9回)を迎えた。人類の歴史とともに編まれてきた数多くの詩を、寸感を添…
詩人・コラムニストの高橋郁男さんが詩誌「コールサック」(コールサック社、年4回発行)で連載していた詩論『詩のオデュッセイア―』が、近刊の84号(2015年12月)で最終回(9回)を迎えた。人類の歴史とともに編まれてきた数多くの詩を、寸感を添…