2人の詩人の好きな場所を勝手に選んだのは、上述のタイトルの詩(朔太郎は散文詩)を書いているからだ。ボードレールの「港」(現代詩文庫『富永太郎詩集』思潮社)は「港は人生の闘に疲れた魂には快い住家である」という書き出しで、港の魅力について記している。
「空の広大さ、雲の動き、海の色の変化、灯台のきらめく明かりは目を疲れさせない。そこに出入りする人々~欲望を失わない人や旅をしたり金持ちになろうという願望を失わない人々など~を望楼や防波堤の上で頬杖ついたりしながら眺める。好奇心も野心もなくした人間にとって、これらは一種の神秘的な貴族的な快楽なのだ」(要約)
「港」といえば、私の部屋にはカレンダーを切り抜いたオランダの画家、フェルメールの『デルフトの風景』が飾ってある。町の象徴ともいえるスヒーダム港とデルフトの街を描いた作品で、この町で生まれたフェルメールの傑作の一つといわれる。デルフトは、オランダ南ホラント州にある古都で、観光のほか伊万里焼の影響を受けたデルフトブルーと呼ばれる青色が特徴の陶器の町としても知られている。私はこの絵を見ていると、ボードレールの詩の世界を連想し、旅をした思いに浸る。
朔太郎の『散文詩』の「自註」によると、ボードレールのこの詩を意識して「郵便局」(『日本詩人全集14』新潮社)を書いたそうだ。「だが、私はその世界的に有名な詩人の傑作詩と、価値を張り合うというわけではない」とも付け加えているが、以下はその一部。
「郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。(中略)郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ」
朔太郎は「郵便局」で、様々な人生模様を描き出している。貧しい人、悲しい人、文字が書けないため代筆を頼んでいる人、鉛筆の文字が涙で汚れた若い女性……。これらの人々を見る朔太郎の目は優しく「私はその郷愁を見るのが好きだ」と明かす。今、郵政民営化によって郵便局の光景は大きく変わった。今年度中にも手紙、はがきの料金が大幅に値上げされると報じられている。朔太郎が描いた郵便局内の姿はもうない。だからこそ、この散文詩は日本の郵便局の懐かしい風景を描いていて、大きな意味があるのではないか。
以下は2つの詩の全文
▽ボードレール「港」
港は人生の闘に疲れた魂には快い住家である。
空の広大無辺、雲の動揺する建築、海の変りやすい色彩、燈台の煌き、これらのものは眼をば決して疲らせることなくして、楽しませるに恰好な不可思議な色眼鏡である。
調子よく波に揺られてゐる索具つなぐの一杯ついた船の花車きやしやな姿は、魂の中にリズムと美とに対する鑑識を保つのに役立つものである。
とりわけ、そこには、出発したり到着したりする人々や、欲望する力や、旅をしたり金持にならうとする願ひを未だ失はぬ人々のあらゆる運動を、望楼の上にねそべつたり防波堤の上に頬杖ついたりしながら眺め、もはや好奇心も野心もなくなつた人間にとつて、一種の神秘的な貴族的な快楽があるものである。▽萩原朔太郎「郵便局」
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合つてゐる。或る人人は爲替を組み入れ、或る人人は遠國への、かなしい電報を打たうとしてゐる。
いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに來て手紙を書き、そこに來て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舍の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤獨に暮らしてゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。
郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて亂れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活ライフの港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。
郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。
写真 ベトナム・ハロン湾
1385 大災害から復興したオランダの古都 フェルメール・「デルフトの眺望」