小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1410 優しい「月の山」 届いた出羽の風景

(月山の降臨?現象) 森敦の『月山』(1974年に芥川賞を受賞)は、霊山である出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)の一つ、月山(1984メートル)の麓の小さな寺にある夏に住み着いた男が長い冬を過ごした後、どこかに去っていくという話の名作で、森自…

1383 夏の風景 すみからすみまで光に埋る花たち

「夏のあかるさ すみからすみまで光に埋ってゐる そのなかに ひとつづつ彫られてゆく 小さい生きものの姿 うすい羽 誰が彫ってゐるかわからないが ひと鑿(のみ)づつそれがゆく」 室生犀星の「夏昼」(「星より来れる者」より)という詩である。散歩コース…

1381 美を考える ニュースに登場する醜悪な人たち

最近、美について考えることが多い。美という概念からは芸術、哲学から自然界まで幅広いものを感じとることができる。関心事の一つである仏像を見ても、その気品ある姿は美そのものである。私の家の墓地がある寺には薬師如来像がある。顔の表情はとても柔ら…

1367 『風に吹かれて』と『ティアーズ・イン・ヘヴン』 時を超えた名曲

詩人・コラムニストの高橋郁男さんが詩誌「コールサック」で連載している『詩のオデュッサイア―ギルガメシュからディランまで、時に磨かれた古今東西の詩句、四千年の旅』という詩論が7回を数え、米国のミュージシャン、ボブ・ディランの『風に吹かれて』(B…

1365 世界が狂気になる前に 核廃絶への道は?

ニューヨークで開催されていた核不拡散条約(NPT)再検討会議が、1ヵ月も議論を続けながら最終文書を採択できないまま5月24日に閉幕した。広島、長崎の原爆被爆者の核兵器の廃絶の願いは、核保有国の身勝手によって消し飛んでしまった。 手元にあったヘ…

1360 人生の特別な一瞬 心に残る風景

叙情詩で知られた詩人の長田弘さん(75)が亡くなった。本棚にある長田さんの詩集『人生の特別な一瞬』(晶文社、2,005年)を取り出して、読み直した。この中に「もう一度ゆきたい場所」という詩がある。小学校と中学校、そして高校のことを書いた詩で、読…

1353 二足のわらじの芸術家たち 多彩な才能に畏敬

手近にあったCDをかけると、ロシアのアレクサンドル・ボロディン(1833~87)の「ノクターン~弦楽4重奏曲第2番ニ長調第3楽章」が流れてきた。ボロディンといえば作曲家のほかに化学者の顔を持ち、二足のわらじを履き続けた人である。 多方面に才…

1347 東日本大震災・原発事故から4年 人の心に浮かぶもの

「福島の原発事故が日本という高度な技術水準を持つ国でもリスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示した。私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かった」 「エネルギーの3分の1を原発が担っている。それが止まっ…

1314 扇風機とストーブがバトンタッチ 立冬への思い

きょう7日は立冬だ。『日本の72候を楽しむ』(東邦出版)には、「立冬とは、冬の気配が山にも里にも感じられてくるころのこと。木々の葉が落ち、冷たい風が吹き、冬枯れのようすが目立ってきます」とある。 この説明の通り、家の前の通りのけやきの落ち葉が…

1247 懐かしきは夕菅の花 季節の花に寄せて

ことしも私の散歩コースにユウスゲ(別名、黄菅)によく似た黄色い花(ヘメロカリスらしい)が咲き始めた。かつてユウスゲはそう珍しくはなかったが、都市化現象が進んだ影響で一部の地域では絶滅危惧種に指定されるほど、姿を消しているという。 高原に自生…

1246 憂鬱な季節でも 梅雨には読書を

気象庁主任技術専門官の宮尾孝さんが書いた「雨と日本人」(MARUZEN BOOKS)という本を読んだ。今は雨とは一番縁が深い季節である。このところ、梅雨の晴れ間がのぞいて、憂鬱さは少し解消されたが、やはり、この季節はうっとうしい。石原とか鈴木とかいう政…

1239 故郷の原風景とは 盲目の詩人の静かな問いかけ

「コールサック」という詩誌に、金沢在住の詩人、うおずみ千尋さん(69)が「盲目の日に」という連載エッセイを載せている。最新号の78号には「故郷の風景―3月11日に寄せて―」と題して、うおずみさんが故郷の福島県いわき市で送った少女時代の思い出…

1228 酒を傾けて アルコールにまつわる話

「酒 傾ければ 愁い来らず」(月下独酌より)。唐時代の詩人、李白はこんな詩を残している。 評論家の草森紳一(1938-2008)は「酒を売る家」(竹書房)という漢詩解説書の中で、李白を酔いどれ詩人と評し、「李白の酒の詩はみな豪快だが、底なしの…

1184 森で見た天狗の羽団扇 ヤツデの白い花、そして梨木香歩「冬虫夏草」

小さな森を歩いていると、白い球状の花が咲いている木があった。ヤツデである。この木はかつて鑑賞用や目隠し用として家々に植えられていて、珍しくなかった。歌人の島木赤彦はそんな光景を「窓の外に白き八つ手の花咲きてこころ寂しき冬は来にけり」と詠っ…

1180 荘子・胡蝶の夢に惹かれて ある詩人を偲んだ絶唱

詩人の飯島正治さんが亡くなって3年が過ぎた。亡くなる1年前の2009年から飯島さんが中心になって発刊した詩誌「薇」の第9号が手元に届いた。9人の同人による詩と「小景」という短いエッセーが掲載されている。言葉と向き合う達人たちの詩の中で、ふ…

1180 荘子・胡蝶の夢に惹かれて ある詩人を偲んだ絶唱

詩人の飯島正治さんが亡くなって3年が過ぎた。亡くなる1年前の2009年から飯島さんが中心になって発刊した詩誌「薇」の第9号が手元に届いた。9人の同人による詩と「小景」という短いエッセーが掲載されている。言葉と向き合う達人たちの詩の中で、ふ…

1161 秋の彩(いろ)は芳香とともに 金木犀の季節

「金木犀の散りし花穀(はながら)降る雨にひとつひとつ光るこの秋の彩(いろ)」 詩人・歌人である北原白秋の門下生だった吉野鉦二の歌だ。外に出ると金木犀の芳香に体全体が包まれる。10月、秋色が次第に深まっている。開花間もないため雨に打たれても花…

1152 つかの間の喜悦~それはまたつかの間に地に堕ちる 五輪と古代ギリシャ詩人

2020年の夏の五輪(第32回)・パラリンピック開催地に東京が決まった。アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されているIOC総会の中継のテレビ映像を、早朝から見ていた人は多いだろう。歓喜に沸くシーンを繰り返し流すテレビの映像を見ながら、最…

1082 御嶽に向かって 犬山城の天守にて

このブログにリンクしている「消えがてのうた part2」の中で、「石垣を登ったはなし」(2012年5月16日)というaostaさんの子どものころの思い出話が載っている。詩情あふれる文章と高島城(長野県諏訪市)と桜の写真は、何度見ても作者の感…

1080 「いのちの賛歌」とアルジェリア人質事件の被害者たち 尊厳・最高の価値のはずなのに

友人のブログ「冬尋坊日記」の最新の記事にマザー・テレサの「いのちの賛歌」という詩のことが出ていた。その詩を読みながら、アルジェリアのイスラム武装勢力による人質事件のことを考えた。現地でプラント建設に当たっていた日本人を含む多くの命がこの事…

1061 「アン」シリーズとは異なる世界 モンゴメリの苦悩をちりばめた最後の作品

カナダのプリンス・エドワード島を舞台に、ひたむきに生きる少女を描いた「赤毛のアン」シリーズの作家、ルーシー・モード・モンゴメリ(1874・11・30-1942・4・24)は67歳で生涯を閉じた。病死といわれていたが、近年孫娘が自殺だったこ…

1051 心に残る福美ちゃんの絵 小児がんの子どもたちの絵画展にて

11月もきょう30日で終わり、明日から師走に入る。日本人は楽しいことには気が早いのか、街ではもうクリスマスツリーを見かける。そのクリスマスツリーを自分の目で見ることを夢見ながら、病床で絵を描いた少女がいた。石川福美ちゃんだ。横浜のみなとみ…

1050 ベスト1の小説「ことり」 メルヘンながら現実社会を投影

ことしも残すところ1カ月余になった。種々雑多な本を読んだ中で、私にとってこれまでのベスト1は、小川洋子著「ことり」である。同じ作者の作品で映画にもなった「博士の愛した数式」も心に残る1冊だったが、それと並ぶ上質な小説だと思う。朝日新聞の文…

1048 夕焼けの雲の下にいる福美ちゃんへ あるコメントへの返事

「出会った人たちの言葉(3)に対し、うれしいコメントがあった。後段の「どんな悩みも隠さないで」の石川福美ちゃんのお母さんからだった。福美ちゃんは小児がんで短い生涯を閉じた。そして、娘を亡くしたお母さんは喪失感の中、心の葛藤と闘い苦しい日々…

1048 夕焼けの雲の下にいる福美ちゃんへ あるコメントへの返事

「出会った人たちの言葉(3)に対し、うれしいコメントがあった。後段の「どんな悩みも隠さないで」の石川福美ちゃんのお母さんからだった。福美ちゃんは小児がんで短い生涯を閉じた。そして、娘を亡くしたお母さんは喪失感の中、心の葛藤と闘い苦しい日々…

997 夕やけの雲の下に 子どものころの夢は幻 ロンドン五輪(3)

オリンピックが開催されたロンドンの街並みがテレビでしばしば紹介された。その映像を見て、「夕やけの雲の下に」という百田宗治の詩を思い出し本棚から詩集を探して読み返した。少年の夢を詠った詩である。オリンピックで活躍した若者たちにもこんな思いが…

977 アジサイの花を求めて 道の駅の川沿いを彩る心の花

アジサイの花を求めて、ドライブした。成田空港からそう遠くないところに多古町がある。「たこ」という地名である。道の駅に隣接した川の両側にはアジサイが植えられており、いまが見ごろになっている。町の人たちが丹精を込めて栽培をしているのだろう。見…

951 桜の木の下に立ちて 花を楽しむ季節に・・・

「原爆の灰を思い出すから桜の花は嫌いである」という文章を書いたのは評論家の多田道太郎だった。しかし、その後、多田は奈良・吉野山の桜を見て、心に染みたと語ったそうだ。同じフランス文学者で多田の後輩の杉本秀太郎が「花ごよみ」にこう書いている。 …

942 春を告げるメロディー 心弾む季節は遠く…

ことしは「早春賦」という歌=春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず 時にあらずと 声もたてず=のように、春が来るのが遅い。 うぐいすは「春告鳥」とも言うが、うぐいすが鳴かないと春が来た感じがしない。 ようやく今…

941 もう1度ゆきたい場所 大震災から1年

詩人の長田弘さんは「もう一度ゆきたい場所」という文章(詩文集=詩的エッセー・人生の特別な一瞬)を書いている。その文章の冒頭で「かなわないと知っている。けれども、もう一度ゆきたい場所は、もう二度とゆくことのできない場所だ」と記し、続いてその…