小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2805 もうクマゼミの季節 騒音でも元気の源に

  朝、散歩していたら、クマゼミの鳴き声が聞こえてきた。まだ6月なのに、気が早いセミだ。とはいえ、既に沖縄、九州から近畿地方まで梅雨が明け、関東地方もエアコンのお世話になる日が続いているのだから、クマゼミが鳴くのも仕方がないことかもしれない。それにしても毎年夏が来るのが早く、しかも猛暑が続いている。農作物への影響が心配になる。

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 このブログでクマゼミのことを初めて取り上げたのは7年前で「1683「酷暑」の夏 涼を求めて」と題したブログだった。その冒頭は——。

《新聞に「酷暑」の見出しが躍っている。外からはやかましいクマゼミ(熊蝉)の鳴き声が聞こえる。きょうも暑くなりそうだと思いながら、部屋の温度計を見ると、午前8時を少し回ったばかりなのに、既に30度を超えている。つい「暑い!」と口走ってしまう。すると、体中から汗が吹き出しますます暑苦しくなっていく。避難所暮らしの西日本豪雨の被災者がつらい日々を送っていることを思い、我慢、我慢と言い聞かせる》

 このブログはさらに、次のように続けている。

《私がクマゼミのことを、このブログに初めて書いたのは2018年7月16日だった。このブログを読むと、周辺でこのセミの鳴き声が目立つようになったのは「2、3年前」としているから、2015~16年頃から、急に増えたのかもしれない。それまでは今頃の季節は、アブラゼミの天下だったのだが、昨今はクマゼミが天下を取ってしまった感があり、7~8月は本当にうるさくうっとうしい》

 このように書いている通り、毎年真夏の時期はクマゼミのけたたましいほどの鳴き声で、気分的にも暑さが身にしみている。それがこの夏は前倒しになってしまった感がある。

 室生犀星の抒情小曲集の中に「蝉頃」という詩がある。この書き出しは「いづことしなく しいいとせみの啼けり はや蝉頃となりしか」(意訳=どこからともなく、セミの鳴き声が聞こえてきた。もう蝉の鳴く季節になったのだ)である。セミの鳴き方を、犀星独自のオノマトペ(擬声語)で「しいい」と表現をしているが、ニイニイゼミ説が有力だ。

 このセミの鳴き方について辞書を引くと「じいー」(広辞苑)、「ジージー」(明鏡国語辞典)、「チイチイ」(デジタル大辞泉)、「チー」(日本大百科全書)、「ちぃー……」(ブリタニカ国際大百科事典)~と、表現は微妙に違っている。犀星のように「しいい」と耳に入る人もいてもおかしくはない。

 ではクマゼミの鳴き声は「シャシャシャ…あるいはワシワシワシ…」と、私には聞こえてくる。風情など、微塵も感じさせない騒音のような鳴き方なのだ。

 熊蝉に耳劈(つんざ)かれをりにけり  清崎敏郎 「劈(つんざ)く」は、「勢いよく突き破る」や「強く裂き破る」と言う意味で、クマゼミの鳴き声に耳(鼓膜)が突き破られそうだという意味の句だ。歓迎されないセミなのだが、逆の発想をすると元気いっぱいの鳴き方であり、その元気を少しは分けてほしいと思う。そんなふうに考えれば少しは暑さを忘れることができるかもしれない。

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「蝉頃」

いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
けふ いづこにありや
なつのあはれに
いのちみじかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり

(「抒情小曲集・愛の詩集」講談社文芸文庫、講談社)

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