小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2804 人を励ます言葉は「自由」 エリュアールの抵抗の詩

遊歩道を彩る紫詰草(ムラサキツメクサ)

「力強い ひとつの言葉にはげまされて わたしは ふたたび人生を始める わたしは生まれてきた きみを知るために きみの名を呼ぶために 白由よ」

 フランスの詩人ポール・エリュアール(1895—1952)の「自由」という詩の結びの言葉だ。第二次大戦中、4年余にわたってナチス・ドイツに占領されたフランス。国民の心に「希望」を蘇らせたという詩。これがナチスに対する抵抗運動・レジスタンスに力を与えたことで知られる。現代こそ、この詩に共感を覚える世界の人は数多いと思われる。

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 フランスがナチス・ドイツに占領されたのは1940年6月のことで、パリからドイツ軍が去るのはその4年後、44年6月6日、連合軍がノルマンディー上陸作戦を敢行した後の8月のことだった。(この間ナチス・ドイツの傀儡政権といわれたヴィシー政権が存在した)「自由」は42年に書かれ、アルジェの出版社から刊行の詩集『詩と真実』に収録され、その後英軍機によって空からフランス全土にばらまかれ、占領下のフランス国民の間で愛唱され、絶望の思いで日々を送っていた同国民に勇気と希望をもたらしたといわれる。

「愛国心鼓舞のための詩」という見方もあるが、言葉の力を感じる詩といえる。時の体制に順応するのはたやすいことだ。だが、エリュアールはそうした行動はとらず、自分の詩で自由を奪ったナチス・ドイツに対する抵抗する考えを示した。

 これより前にエリュアールは「ゲルニカの勝利」という詩も書いている。1937年4月26日、ナチス・ドイツの爆撃機がスペイン北部の都市ゲルニカを無差別爆撃、大きな被害をもたらした。これに対しスペイン出身の画家ピカソが「ゲルニカ」という大作を描き、パリ万博に展示した際、被害の惨状の写真とともにピカソと交友関係にあったエリュアールの詩も同時に展示されたという。

「詩は、言葉の礫(つぶて)であり、呟(つぶや)きであり、時には、煽る(あお)る武器にもなる」。コラムニスト、高橋郁男さんが著書『詩のオデュッセイア』(コールサック社)の中で「詩」について頭に浮かんだ様々な言葉を書いているうちの一つだ。その指摘通り、エリュアールの「自由」は言葉の礫となり、ナチスに自由を奪われたフランス国民に抵抗すること、自由の大事さを知らせる武器になったといえる。

  以下はエリュアールの詩「自由」。

小学生の ノートのうえに
机のうえに 樹の幹に
砂のうえ 雪のうえに
わたしは書く きみの名を

読んだ すべてのページのうえに
すべての 白いページのうえに
石や血や 紙や灰のうえに
わたしは書く きみの名を
(中略)

力強い ひとつの言葉にはげまされて
わたしは ふたたび人生を始める
わたしは生まれてきた きみを知るために
きみの名を呼ぶために

白由よ

(大島 博光編訳 『エリュアール』 新日本新書 )

 理不尽な事柄がまかり通っている現代社会。そんな時こそ、抵抗の精神が重要なのだとエリュアールの詩は教えてくれている。

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