小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2084 蕭条とした冬景色 さ霧晴れても

 

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 調整池を回る遊歩道を散歩していると、このところ毎朝のように調整池から霧が立っている。放射冷却によって起きる現象だ。長い年月見慣れているとはいえ風情があって、見飽きない。対面からやってきた女性が『冬景色』の歌を口ずさみながら歩いていく。女性が遠ざかると、私も同じ歌を小さな声で歌ってみた。歳時記には冬の季語である「冬景色」の説明に「蕭条」(しょうじょう)という言葉が使われている。目の前にある調整池と背後の森もまさに蕭条の世界になっている。

「見渡す限り蕭条とした冬の景色をいう」(角川学芸出版『合本俳句歳時記』が、季語の説明だ。そして、蕭条は「ひっそりともの寂しいさま」という意味だ。冬になると、目に映る自然の眺めは、蕭条たる様相を呈する。調整池周辺も同様だ。そんな朝、霧に包まれて昔習った歌の歌詞をかみしめる。 

 さ霧消ゆる湊江の
   舟に白し 朝の霜
   ただ水鳥の声はして
   いまだ覚めず 岸の家
     (作詞/作曲未詳『冬景色』の歌詞1)

 1913(大正2)年の「尋常小学唱歌(5)」で発表になった曲だそうだ。この年は東北、北海道が冷害による大凶作に見舞われ、さらに翌14年には第一次世界大戦が発生している。日本も世界も決して平穏な時代ではなかった。そんな世の中であっても、こうした美しいメロディーは子どもたちの心をとらえたに違いない。(注・「さ霧」は霧のことで「狭霧」とも書く。「さ」は語調を整える接頭語だ。霧は秋の季語であり、この歌詞1は晩秋から初冬の光景を描いている)

「歌は不思議なものだ。体が歌詞をおぼえこんでしまっていて、時に口ずさんだりするが、その意味など考えてもみないものが多い。殊に子供のころにおぼえた歌にそれが多い。いわばオウムが意味を理解せずに人語を喋るようなものだ」。高橋治は『春夏秋冬 ひと歌心』(新潮文庫)で歌の魅力について、こんなふうに書いている。確かにそうだと思う。私もこの『冬景色』の歌詞を深く考えずに歌ってきた。私とすれ違った女性はどうだったのだろうか。

 言うまでもなく、12月は1年の終わりの月である。昨年から続くコロナ禍のため、あまり外出をしていない。多くの人が同様の生活を送っているだろう。それでも時間は駆け足で通り過ぎていく。新聞には今朝も嫌なことがいろいろ載っている。特に建設業の受注実績を示す国の基幹統計を国土交通省が書き換えていた問題、学校法人森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題の裁判、大手旅行会社HISの子会社によるGoToトラベル不正受給問題などが目についた。 

 中でも森友関係では改ざんを強いられ自殺した財務省近畿財務局職員赤木俊夫さんの妻雅子さんが国に賠償を求めた訴訟で、国側はこれまで否定してきた賠償責任を一転して認め、裁判はこれで幕引きになるという。大阪地裁であった訴訟手続きで国側の弁護士は、雅子さんの顔を一切見ずに1億700万円の損害賠償請求を「認諾する」と伝えたという。この結果、赤木さんが自死に追い込まれた経緯など、詳細な事実関係は不明のままに裁判は終結するといい、雅子さんは「ふざけんなと思います。なぜ夫が亡くなったのかを知りたいと思って始めた裁判。お金を払えば済む話ではない」と語った。冬の霧は晴れても、もやもやとした気持ちは消えない。

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写真 霧が立った調整池の風景(最後の1枚は霧が晴れた後)