小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

1365 世界が狂気になる前に 核廃絶への道は?

 ニューヨークで開催されていた核不拡散条約(NPT)再検討会議が、1ヵ月も議論を続けながら最終文書を採択できないまま5月24日に閉幕した。広島、長崎の原爆被爆者の核兵器の廃絶の願いは、核保有国の身勝手によって消し飛んでしまった。

 手元にあったヘルマン・ヘッセ(1877~1962)の「花に水をやりながら」(1932年8月28日)という短い詩を読み返した。

夏がしぼんでしまう前に 
もう一度  
庭の手入れをしよう  
花に水をやろう 
花はもう疲れている  
花はまもなく枯れる 
もしかしたら明日にも。

世界がまたしても狂気になり  
大砲がとどろく前に 
もう一度  
いくつかの美しいものを見て楽しみ  
それらを歌に捧げよう。

 ヘッセはドイツ南部のヴュルテンベルグ州に生まれ、1946年にノーベル文学賞を受賞した詩人・作家である。非戦論者であり、ヒトラーによるナチス政権(1933年1月)の誕生後、ヘッセの作品は「望ましからぬ文学」といわれ1939年から1945年まで紙の配給を停止された。

 ヘッセはドイツを離れ、後半生をスイスで過ごした。 この詩がつくられた1932年といえばドイツでナチズムが著しく台頭した年で、ヒトラーは大統領選で落選(次点)したものの、7月と11月の国会議員選挙ではナチ党が第1党になっている。

 ヘッセはそうしたドイツの社会状況を短い詩に託したのではないだろうか。 特に2番目のフレーズ 「世界がまたしても狂気になり 大砲がとどろく前に もう一度 いくつかの美しいものを見て楽しみ それらを歌に捧げよう。」は近づく戦争の足音に対する恐れ、平和への祈りが込められているといえる。

 この詩が書かれてから83年が過ぎている。だが、人類の歩みは止まったままである。