小径を行く 

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(筆者=石井克則・遊歩)

2717 今こそ「平和への祈り」 平山郁夫の一枚の絵に思う

 

 

 画家の平山郁夫(1930~2009)といえば、シルクロードの風景や日本の古寺を描いた作品を思い浮かべる人が多いだろう。だが、私は子どもたちを描いた一枚の絵が特に心に残っている。それは「平和の祈り―サラエボ戦跡」(1996年作・佐川美術館所蔵)という題がついた中欧の旧ユーゴ構成国だったボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで描かれた作品だ。廃虚を背景にして並んだ8人の子どもたち。その表情は明るい。戦火に街が焼かれても、「子どもたちには未来がある」というメッセージがこの絵からは伝わる。現代のウクライナやガザの子どもたちが、このような輝いた表情を取り戻るのはいつのことになるのか。

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 私が平山のこの絵を見たのはちょうど10年前の今頃の季節だった。改修工事のため休館していた千葉県立美術館が再開の記念に平山郁夫展を開催したことを知り、足を運んだ。仏教伝来とシルクロードをテーマにした作品、比叡山延暦寺や法隆寺、薬師寺などの日本文化の美を追求した作品など93点が展示された特別展だった。この中に「平和の祈り」も入っていた。    

 多民族国家だった旧ユーゴは第二次世界大戦後に独立、カリスマ的指導者チトーによって独自の社会主義路線を歩んだ。しかしチトーの死後、次第に民族自立の動きが高まり1991年、クロアチアやスロベニアなどが次々に独立を宣言、激しい紛争(ユーゴ紛争)が起きた。ボスニア・ヘルツェゴビナも1992年に独立を宣言したが、同国内に住む民族間(ボシュニャク人+クロアチア人対セルビア人)の対立が武力衝突に発展、互いに民族浄化という大量虐殺を行うなどの歴史的紛争となった。NATO(北大西洋条約機構)が武力介入(空爆)し95年12月にようやく和平が実現したが、この間、多くの血が流されたことは記憶に新しい。    

 平山は国連の平和親善大使として和平後の96年4月~5月ボスニア・ヘルツェゴビナを訪問。ビルが崩壊するなど戦争の傷跡が生々しいサラエボの広場でスケッチをしていると、子どもたちが集まってきたという。その子どもたちの明るい表情と純真な瞳に未来への希望を感じ、「平和の祈り」を描きあげた。この絵の説明には「 サラエボは画家としての私に、どんな境遇や環境にあろうと、平和を祈る作品を描き続けなければならないと、あらためて覚悟させた。画家として、感動することがいかに大事であるかを再認識させた」という平山の言葉が書かれていた。    

 写真の通り、この絵は廃墟を背景に広場に8人の子どもたちが並んで立ち、こちら側(平山の方)を見ている。男女4人ずつの計8人の子どもたちは幼稚園児から中学生くらいまでの年齢と思われ、左端の2人はきょうだいらしく、後ろの子が前の子を抱くように肩から手を回している。真ん中の一番年上らしい女の子が腕を組むようにして一点を見つめている。私は当時のブログに「平山が書いている通り、子どもたちの表情には屈託がない。大人の争いによって、この子どもたちも多くの苦難を経験し、それを乗り越えてきたに違いない。それでも子どもたちには未来があるのだと、この絵は語りかけてくれる」という感想を記した。    

 絵や美術品は音楽ともに大きな力を持っている。中学3年生の時広島で被爆し、平和を願う気持ちが強い平山の絵もその一枚といえる。この絵の子どもたちのように、世界の紛争地で生きる子どもたちは少なくない。その未来を明るくするのは、大人の責任なのである。そうですよね~トランプさん、プーチンさん、ネタニヤフさん、ゼレンスキーさん、石破さん……。

 冒頭の絵は、平山郁夫展図録より。2枚目は「愛の花」といわれるミモザに見守られ登校する子どもたち。

709 「ローマへの道」紀行(1) テレジアとチトーが愛したブレッド湖  

714 「ローマへの道」紀行(5) 世界遺産守ったドブロブニクの人たち  

1345 平山郁夫の一枚の絵 千葉県立美術館にて

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